結婚式で流す映像の話

わたしのなけなしの住民税をその運営費用の原資とする、近所の区立庭園によく散歩に行く。植物が四季折々の姿を見せるその庭園で、よく目にする光景がある。

結婚を控えたカップルがカメラマンを従え、一生に一度の輝きを写真に刻み込もうとしているのだ。わたしはカメラの視界に入らないよう、散歩ルートを慎重に計算する。「今日は鯉をじっくり見たい」と思っていても、カメラのアングル次第ではあきらめざるをえない。もこもこ帽にパーカー姿の不審者が写り込むわけにはいかない。わたしは「姿を消す」ことで、彼らの門出を祝うのだ。幸あれ。

まったく面識のないカップルでさえ「幸」を願うのだから、それが友人や家族であれば「幸」どころではない。横棒を一本足して漢字を新造したいくらいだ。

ご祝儀という概念をのぞけば、結婚式自体は好きだ。挙式も披露宴も二次会も、それぞれに違った趣きがある。友人や家族の晴れやかな顔を見ながら、ちょっぴり上等な食事や酒を楽しめる。最高だ。毎月でも出たい。ご祝儀という概念をのぞけば、人間の営みのなかで最も好きかもしれない。

中でもわたしが楽しみにしているのは、映像である。厳密に言おう。新郎新婦のプロフィール映像や披露宴のエンドロールではなく(それらはプロの手による場合が多い)、「新郎新婦の友人が腕によりをかけて作った映像」が好きなのだ。

映像を作るというのは、なかなかにめんどくさいものである。大学で映像系サークルに所属していたので、そのことは骨身にしみて理解している。構成を考え、出演者のスケジュールを合わせ、小道具を用意し、機材を充電し、準備は万端だったのに、当日の天候で台なしになることもある。無事に撮影を終えても、次は編集作業が待っている。編集中に気づく撮影ミスもあるし、編集ソフトはよくパソコンを止める。わたし自身も友人のために何本か作ったが、(やりがいは最高にあるが)非常にめんどくさい。

そんなにめんどくさい思いをしてまで果たしたいただ一つの目的が、新郎新婦をよろこばせることなのだ。そこまで純粋な思いで作られた映像は、なかなかないはずだ。ハズキルーペのCMも一見「純粋」だが、「菊川怜にルーペを尻で踏ませたい!」以外の目的があるのだ。CMである以上、会社に利益をもたらしたいという邪念がある。

Youtubeで「結婚式 映像」と検索してみてほしい。どこかの誰かが、どこかの誰かのためだけに作った映像がたくさん出てくる。もちろん、映像としてのクオリティはプロには及ばない。しかし、プロが力を尽くしても生み出せない「何か」がそこにはある。

その「何か」の正体は、きっとアレである。「受」に点とか棒を足したやつだと思う。

次回の更新は11月22日木曜日、正午です。


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