ジョイフル本田と南青山の話

昨日、ジョイフル本田瑞穂店に行った。最近なんとなく煮詰まっており、「いま思い切って休んだほうが、長い目で見れば効率が上がる」という確信のもと、自宅から片道二時間弱のこのホームセンターへの小旅行を決行したのだ。

「ジョイフル本田」は、関東地区に15店舗を展開するホームセンター・チェーンである。公式サイトの店舗リストには、「店舗の敷地面積が東京ドーム何個分に相当するかを目安として掲載」してくれている。わたしが行った瑞穂店の面積は2.3td(東京ドーム)であり、最大面積を誇るひたちなか店は5.1tdであった。

「なんだ、しょせん2.3tdかよ、最大tdの半分以下かよ」とがっかりした読者諸氏に告げたいのだが、2.3tdでも途方もなく広い。もちろん広いだけでなく、生活に必要なありとあらゆるものが揃っている。洗剤から木材まで、洋蘭からウォシュレットまで、産直野菜から個人用のブランコまで。なんとペットの生体販売コーナーの通路を挟んだ向こうには、ホンダの新車が並んでいるのだ。逆に「おいていないもの」が思いつきにくいくらいに、生活に必要なものがなんでもある。「この世の全てをそこにおいてきた!」というのは漫画『ワンピース』の名台詞であるが、「そこ」とはジョイフル本田を指すという説があるくらいだ。

生活を営むためには、こんなに多くの種類のものが必要なのか――。わたしはそんな思いに浸りながら、南青山の一件を思い出していた。

都心の一等地・南青山に建設予定の児童相談所をめぐって、住民の間で反対の声が上がっている。それが「一部」なのか「多数」なのかは、ここでは言及しない。わたしが重視したいのは、次の点だ。ある一定数の住民にとって、「南青山の生活」の価値は、「児童相談所的なものから縁遠い生活」に起因するということである。

生活に「虚飾」が必要なことは、誰にも否定できない。たとえば服だ。高級ブランドが万人に必要とは言わないが、もしこの世に一種類しか服がなかったら、生活は一気に彩りを失う。防寒や吸汗という「機能」だけでは、十分ではないのだ。

南青山の生活にだって、きっといろいろあるはずである。高級ブランドに身を包み、高価なマンションに住み、国連大学のファーマーズマーケットで買った無農薬野菜を食べていても、所詮は人間なのだ。「おしゃれ」では済まないことも起こる。

ジョイフル本田を南青山に建てろとは言わない。まず2.3tdも土地がないし、一つの商業施設のせいで街全体の雰囲気が崩れるのもどうかと思う。ただ、ジョイフル本田は「なくても死なない」が、児童相談所はそうではないのだ。誤解のないよう言っておくが、わたしはジョイフル本田が大好きである。

最後に、大好きな小説を引用したい。木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』の中の一節である。

テツコは前にギフが言っていたパチンコ店の話を思い出した。閉店になった時のホールって、ただただゴォーって川みたいな音がしてるんだよね。華やかな光や音楽が止んだとたんに、機械が玉を流してゆく音だけになるんだ。なんだオレ、こんな殺伐としたところにいたのかぁって。生きてるって、本当はあんな感じかもしれないね。本当は殺伐としてんだよ。みんな、それ、わかってるから、きれいに着飾ったり、御馳走食べたり、笑い合ったりする日をつくっているのかもしれないな。無駄ってものがなかったなら、人は辛くて寂しくて、やってられないのかもしれない。

次回の更新は12月21日金曜日、正午です。

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