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「粗大ごみを出したい」の話

他者の他者こそがじぶんである、という考え方がある。おそらくわたしの目には、鷲田清一の著書を通して入ってきている。蛮勇とも呼べる勇気をもって演繹するなら、外の外こそが家である、と言える。いまは外がない。だから当然、家もない。

外出はしづらいが給料は減っていない。一年前ならライブや飲み会に使われていた金が、イケアや無印やロフトに変わる。床の塵は減り、壁面の収納は増える。コーヒーを淹れるのがうまくなり、柔軟剤にも凝るようになった。だがそれが、なんだというのだろう。

在宅勤務の主な気晴らしは、掃除だ。公園に行ってもマスクをした近隣住民と、微妙に非科学的な気の遣い合いをするだけだからだ。掃いたり吹いたり吸ったりしていると、どうしてもその上の選択肢、「でかいものを捨てる」が切実さを増してくる。「○○区 粗大ごみ」で検索すると、トップに出てきたのが「粗大ごみを出したい」という名のページだ。

粗大ごみを出したい。たしかにそれは事実である。だがわたしはそんなことだけを望んでいるのだろうか。いまはそんなことぐらいしか叶わないのだろうか。

粗大ごみを出したい。部屋をきれいにしたい。春物のロンTを買いたい。今年こそは花見をしたい。はやくワクチンを打ちたい。気軽に帰省したい。旅行もしたい。緊張感のない外出をしたい。フジロックに行きたい。換気の悪い地下のライブハウスに行きたい。友人と夜まで飲んでタクシーで帰りたい。オンラインではない桃鉄がしたい。志村けんのコントが観たい。金が介在してもいいから誰かと抱き合いたい。西新宿のカレービュッフェに行きたい。母校の学祭に行って郷愁に浸りたい。四人くらいでレンタカーを借りて好きな曲を車中で流したい。不本意な死を迎える人をなくしたい。

もはや気力は底をついている。グラビアアイドルがダンベル上げをするYoutubeばかり見ている。それでも働き、食べ、生き延びるしかないのだと思うと、わたしはもう全裸で外に飛び出したくなる。

次回の更新は2月27日(土曜日)です。

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