歩道を疾走する自転車の話

あくまで、わたしが憎むのは「疾走」である。いろいろな事情があるだろうから、歩道を自転車が走ること自体には文句がない。ただし「疾走」はいけない。疾走したいなら、車道を走るべきだろう。歩行者を危険においやってまで、自転車で疾走する権利はないはずだ。

と、いうのはあくまで正論だ。歩道を猛スピードで走る自転車に対して、「あくまで、わたしが憎むのは『疾走』である……」などと長広舌をふるおうとしても、「まで」くらいにはもうわたしを通り過ぎているのである。それどころか運転者が、あの短い豆もやしみたいな、Appleのワイヤレスイヤホンを耳に挿している場合もある。どう考えてもわたしに分があるのに、敗北感を覚えるのはわたしのほうなのだ。やってられない。

あなたが家族と暮らしている家に、突然に居候が上がり込む。父親の知り合いらしく、何らかの事情で自分の家を追い出され、ここにやってきたのだ。困ったときはお互い様だ。あなたはこの居候を、あたたかく受け入れることにした。

ある晩冷蔵庫を開けると、あなたが買っておいた牛乳プリンが消えていた。リビングに目を向けると、家族より先に一番風呂を浴びた居候が、ソファのど真ん中に深々と座ってすぐに内容を忘れそうなバラエティ番組を観ながら、「ふつうのプリンのほうが好きなんだけど、これしかないからな」みたいな顔であなたの森永牛乳プリンを食べている。「あくまで、あなたは『居候』であって……」という長広舌をふるおうとしても、あなたの「まで」と居候の「ヒロミおもしれー」が重なり、怒りはリビングに溶けていくのだった。

われわれ歩行者は無力である。ただ歩道を歩いているだけで「チリンチリン」と鳴らされてしまうこともある。それでもわれわれは、奴らと同じ地平に落ちるわけにはいかない。舌打ちなどせず、怒りを妄想で霧散させ、コンビニで牛乳プリンを買って帰るのだ。牛乳プリンはいつだって、弱い者の味方なのだから。

次回の更新は4月8日月曜日、正午です。
(4月1日〜5日は春季休暇をいただきます)

励みになります。