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学園祭のあとの話

学園祭の季節だ。もちろん「季節だった」というほうが正確だ。味噌汁を味見するように上辺だけを検索すると、東大も早稲田も慶應も「オンライン開催」となっている。事実上の中止だ、とわたしは思う。品のない言い方をすれば、「殴られるかも」と「やれるかも」が祭の本質だからだ。

十二年前のいまごろ、大学三年生だったわたしは「土木棟梁」と呼ばれていた。国土サークルで護岸工事をやっていたのではない。マスコミ系のサークルで大道具を担当していたのだ。単なる教室を作品発表の場、つまり「劇場」に変えることを「土木」と称した。そして、男子=力持ち、女子=手指が繊細というなかなかのジェンダー観をベースに、男子全員を束ねて工事を成功させるのが「棟梁」の仕事だった。

土木はまず、教室の窓を「目張り」することからはじまる。演出の都合上闇が必要だったから、一ミリも日光が入らないようにしたい。そのために段ボールをびっしりと窓におしつけ、アルミサッシとの隙間を養生テープで貼る。この間「手指が繊細」な女子は模造紙やハサミを使って、装飾用の小物を作っている。

教室の蛍光灯を消し、「目張り」の完成を確認するとすぐに柱を設置する。何年も前に名も知らぬ先輩が買った、この教室の高さにぴったりの太い角材の両端に段ボールと新聞紙をかまし、床と天井ではさむ。それを六本、毎年決まった所定の位置にセットすれば、ただの均質な直方体だった教室が「舞台裏」と「客席」に約1:4の割合で分かれる。そして廊下から透視すると「I」である柱を「L」にして頑丈にするために、舞台裏に角材を寝かせて底辺を作り、さらに頂点をつないで直角三角形にする。

準備は二日目に入る。等間隔に並んだ柱の、「間隔」と「柱」の両方を埋めるようにベニヤを打ち付ける。同時に、もはや名称を忘れた舞台用の木材を新聞紙越しに床に敷き、ベニヤの壁とぴったり合わせてからそれをもベニヤで覆う。これで土木の作業は終わりだ。手の空いた男子は女子を手伝うよう指示する。其処此処で感じのいい雑談がはじまる。

土木、装飾、それに技術系部員による映像と音響の準備が完了し、教室はもはや教室ではない。「計量経済学Ⅰ」や「仏文学演習a」の影を完全に払拭したここは、わたしたちだけの劇場である。だがその一方で、アルミサッシに貼られた養生テープや、舞台装置の下に敷かれた新聞紙が、異国からの帰りの切符のようにひっそりと眠っている。

本祭の四日間が倍速で過ぎて、撤去作業の日を迎える。撤去は準備の逆再生ではなく作業時間も1/4ほどであり、再使用する木材はまだしも、二度と使われることのない資材は「こっち燃えるごみねー」と指示された袋に回収される。袋はいずれなんらかの施設に持ち込まれ、生き物のいない惑星のような温度で焼かれる。外部。目張りを剥がされた窓から外が見える。飛行機の窓から見慣れた景色が見える。ここが単なる教室であることを認めたくなくて、なるべく大声で冗談を言う。

数日後、その教室で授業を受ける。夢の跡は記憶にしかなく、興味のない学問は夏草にすらならない。また来年か、と思う。サークルは今年で引退となるが、来年もその来年もまた祭が行われる。次があるということのやさしさに、そのときようやく気づく。

次回の更新は11月21日(土曜日)です。

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