【晩冬お悩み相談ウィーク】小説が読めない話

今週一週間は「晩冬お悩み相談ウィーク〜この時期が一年でいちばんきつい〜」と題して、皆さんから事前に頂いたお悩みに回答していきます。

現在、50代前半です。
30代前半までは、むさぼるように様々な小説を読んでいました。
その頃、事情があって海外に行き、数年経って帰国したところ、日本の社会でうまく生きることができなくなり、同時に日本のもの、翻訳ものを問わず小説が読めなくなりました。
どうしても読む気になれず、無理に読んでも途中でやめてしまいます。 詩やノンフィクション、実用書は大丈夫です。また、映画やドラマは日常的にかなりたくさん観ています。
そのうち読みたくなるだろうと思ったまま、もう20年近く経ちます。
別に小説が読めなくても生活に支障はないのですが、なぜ今だに読む気になれないのか理由がわかりません。

ゴリゴリの日本語ネイティブである僕は、英語の小説を読んでいると寂しくなることがあります。なんとなく、「仲間に入れてもらえていない」という感じがするのです。英語が達者な著者を、同じく達者な読者が囲む輪に、どう頑張っても入れないような感覚があるのです。「あらお客さん、えらいおいしそうにお茶漬け食べはるなあ」みたいな皮肉を、そうと気づかずに受け入れてしまいそうな不安があるのです(なぜ英語を京都弁に例えたのでしょう、余計わかりにくくなりました)。

他に僕が触れる英語のコンテンツにはニュース記事、ニュース動画、音楽、映画やドラマなどがありますが、前述の寂しさを最も強く感じるのが小説です。

詩や小説といった文芸は、辞書の定義のぎりぎり内側、もしくはぎりぎり外側をつくような表現を多用します。この「ぎりぎり」の感覚はネイティブでないとなかなか掴みづらく、その掴みづらさが寂しさを生むのだと思います。短い詩では寂しさに気づかない、または耐えられても、長い小説ではそうはいかない、ということもあるかもしれません。

海外から帰国したあなたは、日本語の小説に対して寂しさを、もしくは違和感を抱いているのかもしれません。平たく言えば、肌に合わない。合わないものはしかたない。あなたが悪いわけではありません。

たとえば、外国語の小説を読んでみるのはいかがでしょう。あなたが数年間いた国で書かれた小説です。その言語の字面が、感触が、リズムが、音色が、あなたの肌にぴったり合うかもしれません。

もしくは日本語の小説のなかでも、方言で書かれたものを読むのもいいかもしれません。日本語を別の面から見ることで、あなたの日本語観、ひいては日本観が変わるかもしれません。地の文までびっしり河内弁で埋められた、町田康の『告白』なんていかがでしょうか。とくに、あなたが関西圏のお生まれでない場合は、より新鮮な感覚を味わえることでしょう。

長々と申し訳ありません。文学や日本語をしっかり学んだわけでもないのに、「単位が取りやすい」という理由で竹中平蔵の授業を受けていたような経済学部生だったのに、小説論のようなことを書いてしまいました。素敵な小説に出会えることをお祈りいたします。

次回更新は3月1日金曜日、正午です。
引き続き、こちらにてお悩みを募集しております。
能力と時間の都合で、すべてには答えられないことをご了承ください。ごめんなさい。

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