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高校のときフジロックに行った話(前)

本来なら今頃、フジロックに行っているはずだった。ご存知の通りフジ・ロック・フェスティバル'20は、例の理由で「一年間の延期」となった。普通のムチにも普通のアメが要る。しかし2020の我々は、春から何度も特大のムチに打たれても、いつものアメすらもらえない。我々はただ真っ赤に腫らした背中をさすりながら、Youtubeを観ることしか許されないのだ。

だがわたしには、あの場所に行く必要がある。あそこに行けば、ある友人に再会できる気がするのだ。

話は2004年、高校二年のときに遡る。わたしが住むのは田舎で、「ライブ」や「フェス」なんて外国語でしかなかった。そしてまだスマホもサブスクもYoutubeもない時代、高校生が音楽の情報を得るには、音楽好きの友達を持つか、雑誌を読むか、CSの音楽チャンネルを視聴する必要があった。だが幸いなことにわたしは、その必要条件をすべて満たしていた。

「フジロック行かへん?」

春先にそう尋ねられたNとTは、どんな顔をしていただろうか。相当に美化されたわたしの記憶の中では、彼らは「あほちゃうか」と「言ってくれるやん」が絶妙に混じった顔をしている。その顔に向けてわたしは、バスツアーを使えば移動手段も宿もきちんと確保されること、チケットを含めても親の支援が期待できる金額に収まること、そして、三年になると受験勉強で行けなくなる、つまりこれが最後の機会であることを訴える。二人はこれを自宅に持ち帰り、Tは両親とのハードネゴにも関わらず不参加となり、わたしとNだけで行くことになった。そしてこの瞬間、わたしのフジロックデビューが確定した。

それからの三ヶ月ほど、勉強に身が入った時期はない。わたしとNは日々発表されていく追加アーティストに胸を躍らせながら、スポンサーであるそれぞれの保護者に見放されぬよう学業に励んでいた。そして無事期末テストが終わり、一学期が終わり、7月29日が来た。

三重県からのツアーバスは出ていないので、一度名古屋に行く必要があった。29日の夜に名古屋を出発し、30日の早朝に会場に着く夜行バスに乗るのだ。だがわたしたちの旅は、地元の駅で集合した瞬間に始まっていた。駅にはフジロックの広告はなく、わたしたちはこの町で特別な存在なのだと錯覚できた。この場に音楽などいらなかった。ただNの声と電車のノイズがあれば、それで十分だった。

名古屋の駅周辺で何かしらの飯を食べたあと、わたしたちは集合場所であるビックカメラに来た。都市にはあまりそぐわない、いかにもな服装の旅慣れた猛者たちが何人もいた。わたしたちは芸能人を見かけたような気分になりながらもバス旅のトイレの心配を忘れないという冷静さを保っていて、ビックカメラの清潔なトイレを借りて万全の状態となり、いよいよバスに乗り込んだ。保育園の昼寝すらうまくできなかったわたしは、長い夜になるのを覚悟していた。

(つづく)
次回の更新は8月29日土曜日です。

https://www.fujirockfestival.com/history/2004

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