ありがとうと手を振る私、にこりと微笑む祖母。
今年の夏は、昨年101歳で他界した祖母の新盆で実家に帰省していた。一番の目的はお墓参りだけれど、私の中にあったもう一つの密やかな目的。それは生前、祖母が大事にしていた“裁縫道具”を譲り受けることだった。
祖母は手先がとても器用な人で、年がら年中、縫い物や編み物を楽しんでいた。今でもよく思い出すのは、畳の部屋でタンスにもたれながら黙々と編み物をしている姿。その傍らにいつも置かれていたのが、黒い缶に入った裁縫道具だった。ずいぶんと年季の入ったその缶は、おそらく私が生まれるずっとずっと前から祖母の傍らにあったのだと思う。黒い缶がまとう威厳のような風格のような“何か”。子供心にも“気安く触れてはいけない”ような気がして、祖母の許可なく触ったことは一度もなかった。
祖母が施設に入所した2016年以降、誰の目にも触れることなく、部屋の片隅にひっそりとしまわれていた裁縫道具。父でさえ、この裁縫道具の存在を忘れていたようだけれど、私自身も最後に見たのはもう10年以上前のこと。久しぶりにこの黒い缶を前にすると、祖母とのさまざまな思い出がよみがえり、胸の奥が懐かしさで隙間なく埋め尽くされて苦しくなった。
「中はどうなっているんだろう」と恐るおそるフタを開けた瞬間、缶の中に祖母の気配を感じて心臓が跳ね上がった。糸が通されたままの縫い針は、またすぐにでも使うつもりだったのか無造作に針山に刺してあり、針にはまだ祖母の体温が残っているような気さえした。年代物ではあるけれど、裁ちばさみも糸切りばさみも“シャキンシャキン”と小気味よい音をたてて動く。底に敷かれたラベンダー色の包装紙も、きっと祖母の好みだったのだろう(そういえば、ラベンダー色の手編みのチョッキをしょっちゅう着ていたことを思い出した)。子どもの頃、“気安く触れてはいけない”と感じていた裁縫道具に、今こうしてじっくりと触れていること自体が何だかとても不思議だった。
最後にフタを閉じた時、祖母は一体どんな気持ちだったのだろうか。
裁縫道具の一つ一つに触れながら、当時の祖母に想いを馳せる。どうしても気に掛かるのは、施設に入る前、最後に裁縫道具を使った日のこと。長年、自分の相棒のように大切にしていた裁縫道具。祖母は一体、どんな思いでこのフタを閉じたのだろうか。悲しかった? 淋しかった? 本当は施設にも持って行きたかった?…そう思わず祖母に話しかけてしまう。声は聞こえないけれど、道具に宿る想いはちゃんと感じられる気がした。自分のことはあまり語りたがらない性格の祖母だったけれど、祖母が大切にしていた裁縫道具に触れることは、祖母の心の内側に触れることと同じだと思った。
数年前、祖母が最後に閉じたフタを、この夏、ようやく開けることができた。フタを開けたら、裁縫箱の中の時間が静かに動き出したような気がする。これから長い年月をかけて、今度は私がこの裁縫道具を大切に使っていく。針仕事の楽しさを教えてくれた祖母。目に見えるものと見えないもの、その両方を遺してくれた祖母。「ばあちゃん、ありがとね。」と何度も心の中で伝えた2024年の夏のことを、私はずっと忘れないと思う。