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『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』補遺③

 『幻のレコード』の中でも述べましたが、1934年8月にレコード検閲が開始されると、新譜はもちろんのこと、それまでに発行された旧譜も検閲の対象となりました。たった2名のレコード検閲係には毎月平均20枚前後の新譜と膨大な旧譜がのしかかったのです。問題のある旧譜が見つかった場合、「出荷された分は見逃すが将来的な追加プレスは禁止」という製作停止処分が下されました。
 次に挙げる表は、1934年8月以前に発行された旧譜で製作停止処分となったレコードです。旧譜の検閲は、原則としてレコードカタログに掲載されている現役盤、すなわち社会に対して影響力があるとみなされるレコードが対象でした。
 たとえば「芝居行進曲」(砂川捨丸・中村春代 / リーガル)はオリエント 60799 (1932年1月新譜)が初出ですが、1934年当時はオリエントが廃止されて後続レーベルのリーガルがプレスしていたので、初めに出たオリエント盤は取り締まりを逃れています。廃盤によってチェックから漏れてしまったのかもしれません。
 一方、1933年に閉業した日本パーロホンの「かたく抱いて頂戴ね」は、パーロホンの閉鎖後、継続してプレスを行なうメーカーはありませんでしたが製作停止となっています。おそらくこの時点で大売捌元(取次店)にまだ在庫があったか、地方の警察署からの申報(通報)によって検閲したのでしょう。同じように1932年に閉鎖されたオリエントの「男女同権」(初出は大正期!)も製作停止となっています。このレコードは後継レーベルのリーガルに引き継がれることなく廃盤となっていたのですが、パーロホン盤と同様、在庫がまだ現役だったのかもしれません。現在でもゾッキ本でおなじみの光景ですが倒産レーベルのゾッキ盤は市中で投げ売りされることが多かったのです。
 すなわち、1934年当時に市場に出回っていたレコードが検閲の対象となっりました。こうしたレコード検閲開始以前に発行されたレコードの取り締まりは、日本全国各地の警察からの申報がレコード取り締まりの頼みの綱でした。この申報システムはレコード検閲開始後も続けられましたが、レコード検閲の初期段階でほぼ役割を終えていたといってもよいでしょう。
 なお、発売頒布禁止や製作停止案件のなかには琉球語や朝鮮語のレコードも含まれています。はたして小川近五郎が琉球語や朝鮮語のレコードも理解して検閲したのだろうか?という疑問が湧きます。さすがに琉球語や朝鮮語までは小川近五郎もカバーできず、現地からの申報 (朝鮮半島・台湾のレコードの場合は各総督府) に従って取り締まっていました。

 リストは①レコード検閲開始前に発行のものと、②レコード検閲開始後に発行のものの2種類を作成しました (noteに貼れるexcelの幅には限界があるので、作者情報は省きました)。
こうして比べてみると、レコード検閲開始後に発行されたレコードの製作停止処分が少ないことに気がつくでしょう。これは、過去に発行されたレコードからどんなレコードが摘発されるかを学んだレコード会社がすばやく検閲回避を行なった証なのです。

① 製作停止処分レコード (出版改正法以前に発行)

② 製作停止処分レコード (出版改正法後に発行)

 ここに掲げた製作停止レコードはとにもかくにも一度リリースされたレコードですから、よほど厳しく回収されたものでなければまだ手に入る余地があります。手に入れやすい発禁レコードといえるでしょう。

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