弊社Webサイトの不幸な生い立ち

遡ること三年前、入社当時の弊社Webサイト(以下「弊社サイト」とする)はBootstrap4を使った2ページほどのシンプルなもので、コードを触る機会はニュース更新の時のみで時に不便も感じずにいた。

ただし全ページHTMLで作成されていて、月イチで新規ニュースを追加する時は過去記事をコピペし、日付、タイトル、本文、リンク先のみ変更。
ニュース新着一覧も手入力でリストに追加していく小さな手間をかけてはいた。

ところで私は自社開発商品を売っている会社でWeb担当として雇われている身で、自社商品の紹介ページやクライアント用のイベントサイトを新規作成したりしている。
その時に色々な技術を試せるので、WordPress、Gulp、Pug、Sassなどその時々でキャッチアップしながら構築させて貰える有り難い環境にいる。
弊社プログラマさんが作った自社開発商品の軽微な修正や追加程度のお手伝いもしていて、主にVue.jsを触る機会を持てている。

そんな便利なものを触っていると俄然弊社サイトを何とかしたいという気持ちが大きくなっていたけれど、容赦なく入ってくる新規タスクたち。
更に、既に公開しているサイトの中身に関しては弊社ボスの優先順位が地面より低く、なかなか時間を取らせて貰えず、合間にheaderなどの大まかなファイルをパーツ毎に分けてやり過ごす。
たまに会う親戚の子が中々垢抜けないまま成長していいく様子をただ見つめるしかない状況だった。

竹下通りがトレンド期

弊社ボスはちょっ思いつきで動きがちボーイ且つMOTTAINAI精神溢れる日本男子なので、 頑張ってリリースした弊社イベントサイトを大して運用する事無く閉鎖したと思ったらその中で使っていたイラストをどうしても弊社サイトに入れたがったり、クライアント用サイトで気に入ったパーツを使いたがりたがったりして気が付くと一貫性の無い弊社サイトが育ちつつあった。
ちょうど小学生女子が全部の「Kawaii」を取り入れたがり、頭の上から足元までバラバラ色柄のカラフルでちぐはぐなファッションが出来上がっていく様を見ている感覚だった。

傍観者になるには経緯がある。
かつて弊社商品の紹介用ページをリリースした。
自社商品を愛していた私は張り切ってページ構成からデザイン、開発環境まで我ながら良くまとまったサイトが出来た。
しかし実装に入るまでボスと方向性で揉め、挙げ句私の意見などいらないとまで言われ、私の自尊心と愛社精神は崩壊した。
歯を食いしばってリリースしたそのサイトはおよそ一年間放置された。

可哀想なその子は弊社サイトにパズルのようにパーツを切り取ってコピペする形で復活した。

ボスのMOTTAINAI精神が炸裂したのだ。

正直この頃はボスとの会話を少しでも減らしたい気持ちで、「投げられたタスクを何も考えずこなすロボットとなる」事でストレスを貯めないようにしていた。
パーツの切り出しは「簡単」で、時間をかけるのを良しとしない空気だったためクラス名も重複スタイルも精査する事なく、思考停止で「くっつけた」だけのページになってしまった。
挙げ句、トップページはあやしげなLPのような構成に変更され、誰に向けて何のために存在しているのか分からない弊社サイトが作り上げられていった。

そんな経緯で、個性を勘違いしてファッションだけでなくメイクもインテリアも引き出しの中も一貫性の無い子が出来上がっていた。

ちなみに自社商品サイトは未だに公開されたまま、たまにパーツを切り取られながら放置されている。
コーポレートサイトと分けて作った意味すら無くなり、外から訪問した人は一体何の会社なのか分からないまま離脱していっている事だろう。

そんな弊社、ボスの一存で社名が変わった。

思いつきで動く衝動性と飽き性精神が炸裂したのだ。
それに伴いロゴのテイストもフォントも変更した。
いよいよ弊社サイトに手を加えるチャンスがやってきた!
喜びも束の間、他タスクを優先されいったん弊社サイト上のロゴ画像だけ変更して異様なファッションセンスを掲げながら生き続けている。

私はいったい、この子にどんな声をかけたら良いのか見当もつかない。
何もしてあげられない事が申し訳ない。
一番近くて一番遠い、弊社サイトの不幸な生い立ちを言語化してみた。

この顛末は続く。


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