盛岡人狼会ディプロマシー合宿 21/02/27
参加者
英:粗目
独:ミモ
露:ペス
仏:らぎー&あさ
墺:エディフ&なかじ
伊:さるすべり(本記事の視点)
土:ボイラー
1901年春
※
英:ヨークシャー・オープニング
仏:マジノ・オープニング
独:ブリッツ・クリーグ
伊:アルペン・レパント
墺:バルカン・ギャンビット(ブダペストバリエーション)
露:StPシステム(スクイッド)
土:ブルガリアンプッシュ
このように幕を開けたディプロマシー。とはいっても、盤面がこうなった時、すでに私(さるすべり)は……。
外交の国、イタリア。開始早々に中央三国同盟をサラッと約束。「盛岡人狼会でチロルアタックを定番化させたくないし、墺がいきなり弱っても伊が勝つことにはならないしなー」くらいの気持ち。
伊についての初年度の関心事は、東西どちらに向かうのか。実際、仏や土からは、個別外交でも大部屋外交でも、自国へ来てほしくないということを強く伝えられる。
参加する枠組みを決めず、攻める方向も見せず。これが01春の伊の強みだと思っていて、外交は様子見。それでも、
・墺も土も露と組みたい
・西欧の少数派は独 というのは把握できた。
ただ、英露と個別外交しなかったことは大きなミス。特に露との時間を持てなかったのは取り返しがつかない。
今にして思えば、この01春が同盟として選んでもらう最初で最後のチャンスだった。露が伊の滅亡を望むはずがないと、知識に驕って悠長に構えていたのが、生存のため必死に露を口説き落としていた墺との決定的な差。
01春の行軍結果を「英は対露、墺も土も対露を選択肢として残し、露は墺土に態度を保留している」と読み取った私は、まだまだこのゲームをわかっていない。
独:ミモ視点
自分自身4回目のディプロマシー 独は初めてなので楽しみ。
最初の方針は、中央三国同盟を設立して独・墺・伊は仲良くしたい。勿論序盤は南側に戦力をだす余裕はないので攻める気は無し。墺早期滅亡は独にとっても嫌だ。
英と仲良くして、情勢を見つつ仏か露を攻めたいかなとーやんわり。
独なのでビールを飲みながら考える
交渉開始
最初に中央三国(独・墺・伊)交渉。定番のチロル不可侵という条約を結ぶ
伊とは、探りながらフランス一緒に攻める?と軽くもちかける。まぁ今後の情勢次第かな。
独・仏・英の三国交渉は、ベルギーについて。フランスは主張がなさそうだったので、独か英に。北欧を協力するという約束で英に譲る。
1901年秋
Pieに進出したことで仏のSpa領有を阻止。それだけ。この後の自身の選択を鑑みて、まったく意味のない外交と行軍の秋だった。
相変わらず悠長に様子見していたためか、行軍の衝撃か、仏からの恨み節と墺からのGre譲渡要請以外、記憶もほとんどない。GreSOは選択肢として浮上したものの、「どうせSerとAlbで取るし」と判断を誤る。中途半端な経験則。
結果、英は対露から急転換、独はSweSOをせず、仏はMun進出で結局2増。露が墺のBul獲得を支援し、墺露3増。しかもSev FとTri Fという、地中海への野心溢れる増設。土が増設なし……。ナンダコレ。
ここでようやく「あ、やっちゃった」と気付く。勝ち馬に乗るはずが、ほんの一瞬で、馬が乗れないほどに成長している。
外交の国、イタリア。外交を疎かにしては勝てない。
そして、ディプロマシーは弱者に優しくないゲーム。露の南軍と墺の国力は11、全体の3分の1。対して伊4、土3……。こうなってはもう難しい。楽しみにしていたので残念ではあるものの、外交時間を無為に過ごしていた罰として妥当である。
とはいえ他のプレイヤーに迷惑をかけられない。墺露が勝利に限りなく近付き、伊(と土)が消えるのは時間の問題だとしても、せめてもう少し勝負を面白くしたい。というか、その責任がある。責任って、いい言葉ですよね?
独:ミモ視点
海軍をデンマークに置き、スウェーデンのSO権を一応確保はしておく。露との交渉は「スウェーデンをもらえるなら、翌年秋ワルシャワをあげる」との事。これが本当なら独にとっては1増で断る理由が無いので飲んでおく。(内心めっちゃ疑ってるけどね!)
オランダ・デンマークの2増だが、フランスにミュンヘン空き巣に入られるw
なので1増。空けた自分も悪いけど、 フランスさん(#^ω^)ビキビキ
ノルウェー・スウェーデン露領に、え・・なんかやばそう
(英に支援かければノルウェー取れるとアドバイスしてたんだけどな)
1902年春
ディプロマシーの二大陸軍国、墺と露。
この組み合わせについてあまり知らないけども、Tri FとSev Fは当然の結果なのかもしれない。
「墺露の対土が完了するまでに仏独の陸軍を東に押し出そう」と考えたけども、その点は英仏独伊土が一致できたはず。風前の灯火となった土の訴えもあって。中央三国同盟?チロルアタックを定番化させたくない?それは過去の話ぃ!
もう一つ考えたのは、墺露を衝突させる方法。配置とタイミング次第でチャレンジしたいことが。(一年後に実行できた)
ここの後悔はボイラーさんとのコミュニケーション不足。二人で支援を送り合う痛恨のお見合い落球。
独:ミモ視点
とりあえず仏とミュンヘン返還要求。なんとかボヘミアに出て行ってもらうことに。
北欧に露2軍は独にとってもやばいので、北欧攻めは英と協力を締結(ノルウェーは英。スウェーデンは、独にという交渉)春はまだ独からは露を刺激しない
ワルシャワ条約?の為に、シレジアに向かう
露、プロシアに進軍。ん・・・(ざわ・・ざわ・・)
1902年秋
北欧周辺について考える余裕はなかったけど、英独と対露について協議すればよかったなーと思う盤面。今見ると。
独vs露、仏vs墺というわかりやすい形になったはず。Ven防衛については意見がありそうだけど、守れば仏の東進が狭くなるし、陸軍数で優る墺からVieを奪える機会は多くないので。
独:ミモ視点
露との約束のターン。春にロシアがプロシアに陸軍進軍で結構不信感
ワルシャワ条約は守られるのだろうか。。
約束が達成されないことを片隅に入れつつ、親英につく。スカゲラクへ支援
(北欧に関しては露とは何も話していないから裏切ってないよ!)
ワルシャワ取れれば、対仏 とれなければ対露 にしよう。
→結果。露は、プロシア・ワルシャワ相互支援でがっちりガード。
ですよねー、条約裏切られたー!(#^ω^)ビキビキ
この時点で、対露で方針決定。
1903年春
Con Aの大輸送。やはり輸送はロマン。
伊土は一蓮托生。助けに行く余裕はないけども、が都するなら用地は提供できる。土領分割で墺露の間に争点が生まれれば、Gal不可侵も保たれないだろうという読み。
ここで仏には「Vie-Gal」を入れるように言っておかなきゃいけなかった。結果だけ見ればTyr-Vie(もしくはTyr-Tri)も良い手。
独:ミモ視点
海軍は、英と北欧進行。スウェーデンをつついて支援カットしとく。
ノルウエーを英に取らせる。
陸軍は、対露へ。取れなそうだけどプレシアアタック
→相互支援でガードされる。
墺と伊 南の方でバチバチしてる
仏も対墺 独と争う余裕はないだろう。
ミュンヘンは通り道なので春の通過は許容する。
オランダは、対露でいっぱいだったので、なんで許したのかは覚えてない
1903年秋
英独の対露がものすごく上手くいっている。目論見通り仏独は東進してきたし、特に独はGalに到達。でも北欧の劣勢により露が墺にConを譲ったのだとしたら、墺露の結束はより固くなったのかなとも思う。まぁ、実情は違っていて、墺が露に支配的というか露が墺に盲従していたというか。いずれにせよ、エディフさんとなかじさんの外交(と酒)によって露はもう墺から離れられない身体に……。
独:ミモ視点
北欧は、約束通り、英に支援してもらいながらスウェーデン奪取!
陸軍は、露のシレジア・ワルシャワはまた相互支援と読み。(読みは外れたけど)支援を入れガリシア進軍させる
1904年春
仏・露・墺7、英6、独5、伊・土が1となった04春。
英仏独伊土のゆるい同盟により、伊土以外が拮抗。面白くなった。中でも、消極的でHが多い仏の尻を、これでもかと叩きまくった私の働きは素晴らしい。うん。VieもVenも取らせたわけだから。うん。
力を尽くして盤面を作った実感。土がAegを残してTunを解体したこともあって、「よし、ここまで!ボイラーさんと滅んでゲームしよう」と思えた。会場にはオセロあったし。
Marは確実に入れたけども、仏を育てた意味がなくなるので。あとはひいらぎさんとあささん、頑張って。
独:ミモ視点
仏から、墺攻めの打診が来る。ガリシア→ブタペストで支援するので取って欲しいと。墺に恨みは無いが順調にTOPだし、勢いを止めるつもりで仏の提案にいったん乗る。(結果は、相互支援でブタペスト取れず)
対露戦線は、
春は防衛。ベルリン・シレジア相互支援。
何気にバルト海の海軍がベルリンに手を出せるので厄介。
スウェーデンからバルト海をつついて支援カットはしとく。
1904年秋
一蓮托生。同時に盤から消える緑と黄。
仏9(2増)、墺8(1増)、露6(1減)、英6(増減なし)、独5(増減なし)
ここで異変。ぺすさんの強い要望により、滅亡国プレイヤーが1人プレイの国に加入することに。参った。こうなることがわかっていたなら、この秋は仏の協力を得てTri攻めを敢行したし、仏にはNapもMunも進ませたくなかった。目先の補給地に飛びつくポット・ショットな行軍は、あまり良い結果をもたらさない。
厳正なる抽選の結果、ボイラーさんは露、私は英に加入することに決まる。
独:ミモ視点
春取れなかったことで、仏との協力は一旦白紙に。
これルーマニア無防備で取れんじゃね?と思い、ガリシア→ルーマニア
仏と英信じて本国空けガリシア・シレジア進軍
デンマーク空いてるので、英か露の空き巣がワンチャンある。ルール軍でSO狙い防衛。→どちらもされず普通に入る
→結果
ルーマニア普通に取れた。
仏に2度目のミュンヘン空き巣に入られる(#^ω^)このやろー
1増1減で軍の変位は無し。
1905年春
粗目さんへ即座に提案したのはStP進出。へべれけの露は無警戒。確実に落とせるし、状況次第ではMosまで入れる可能性もある。1増設できれば、06以降の北欧制覇が見えてくる。独には対露協調の継続を念押し。外交も行軍決定も基本的に粗目さんにお任せ。「滅亡した我々はあくまでもアドバイザー」とボイラーさんとも確認し合った。
予想通りというかなんというか、仏のMun進出は独の不興を買い、前線まで押しだした仏陸軍は解体に追い込まれる。内陸で対墺しながら、独の協力を自ら断ち切るようなことをしてはいけない。とはいえ、独との関係修復に努めるべきだなどと助言はしない。仏を育てたのは過去の話。既に私は粗目閣下の配下、英が伸びるため、仏が弱るのは好都合。Mun進出の責任は自分たちで。責任って、いい言葉ですよね。
独:ミモ視点
結果として、この年の行動が総合勝者を決めることになったと思う。
仏からは引き続き墺攻め打診をうける。
ルーマニア、ガリシア、ボヘミア軍で協力すれば。墺ブタペストを落とせる
墺からは、ガリシア軍でウィーンを落としてほしいと打診。この年は独で取っていい、支援2もする。来年は返してほしいという交渉。ミュンヘンが落ちたままなら、奪還も協力するとのこと。
墺で取るんじゃなく独に取らせるという交渉がめっちゃ上手い。
さぁーてどっちに付くか。墺につけば仏弱まりTOPはほぼ墺になる。この勢力の墺を落とすのはどの国もきつくなる。墺が伸びればルーマニアも今後取られるだろう。
仏につければ、墺を倒せる相手としては現状倒せる勢力が仏しかいない。ここで自国のブタペストとウィーン陥落は墺にとって大ダメージだろう。仏がTOPになりそう。ゲーム的にはこっちが面白い
結果としては、墺に付くことに。
心情的にはほぼ5分だったけど、決め手になったのは、仏の2度のミュンヘン空き巣 やっぱやられてるから墺に付くよね。アノヒノウラミ!
1905年秋
墺9(1増)、英8(2増)、仏7(2減)、独6(1増)、露4(2減)
露も春から動いていたけども、わずか一手届かない。StPを取る機会を上手く生かした英が2増。Den獲得も含めて最高のタイミングだったのでは?
ここまでほとんど隙がなかった墺は、Serに入り込まれる。大部屋外交での墺露の「解体に追い込むのは難しいよね」の会話が印象深い。
ミモさんはどこまで考えていたのか。読めない人。GalとRumを経由したことを考えると、やはり墺露にとってのGalは鬼門。とはいえそれでも増やしてるのだから、墺は優秀すぎる。
独:ミモ視点
まぁルーマニアは落とされるだろう、ダメ元でセヴァストポリアタック
ダメでも撤退でセルビア取れる
一応交渉でセルビアはいることは宣言しておく
ミュンヘンもとりあえず向かう取れたらラッキー
英そろそろ攻めてくるよね。。
結果
ルーマニア追い出され、セルビア撤退かブタペスト撤退ができる。
ブタペスト侵入からの、墺を裏切るプランも一瞬考えたけど、まぁ穏やかに。
やっぱ英来るよね。対英路線、というより自国防衛路線へ
2増1減で1軍増える
1906年春
さぁ、北欧を我が物に。実りの秋に向けての下準備。若干の行軍ミスも些末なこと。ただ、のちに粗目さんと振り返ったように、直前の増設は陸1海1がベストだった。
確かこの春だっただろうか。個別外交にご指名頂き、「どうすればいいですか?」と尋ねられたのは。ご無沙汰ですね、フランスさん。
根が善人なので、乞われるままに行軍案と方針を提示。英にはまるで得がないんだけど。お人好しである。
独:ミモ視点
墺のチロル仏軍強制解体作戦を受ける。
チロルからの撤退先を潰して、強制解体に追い込むというもの。
ついでにウィーン→チロルで ウィーンを返還
裏切るならここ? ここの仏解体は墺の勝利にぐっと近づく。
まぁでも約束は守ろう、ドイツ人ウソつかない(?)
露は白旗モード。なんか北欧支援くれるらしい(?)
1906年秋
墺10(1増)、英9(1増)、仏6(1減)、独5(1減)、露4(増減なし)
本国、低地、北欧、StPの9拠点。英が制覇するときの中間地点とも言えるバランスのいい9拠点。しかし、ここがピーク。NrgをBraかNwyに動かし、露のStP奪還に備えるようにアドバイスしておかなきゃいけなかった。
時間により、あと一年で終了となる。盤面を見る限り大勢は決していて、墺がどこまで伸ばせるかが見どころ。
独:ミモ視点
方針としては、3軍で本国防衛。2軍で墺か露をせめようと
とりあえずできることをやる、ちょっと墺に噛みつく。→ブタペスト侵入
1907年春
露は予想に反して春はStP奪還に動かなかった。ただ行軍されてみればなるほど、War防衛を気にしたのと、寝ていたBal Fを使って盤石の体制を築こうという手堅い考えなのだなと。
英として痛かったのがLon-Engの記入の失念。ボイラーさんと違ってその辺のチェックもしていなかった私は、アドバイザーとしての働きが不十分だったなと猛省している。StP、増設、Lon-Engとしっかり押さえれば、BelとStPは07秋の時点まで保持できた。申し訳ない。
独:ミモ視点
ラストの年。とりえあず戦力維持を目標に。
本国防衛意識高めに、ガリシアをボヘミアに戻す。
ブタペストは戦力的に維持は困難。秋に出ていくと見せかけてのSO防衛か、ワルシャワ侵入を目指す。
1907年秋
独:ミモ視点
ワルシャワはガード入りそうなので最後の抵抗でブタペストSO狙う。
あとは本国防衛。3度目のミュンヘン陥落はさせねぇ!!(必死)
→なんとか全部成功。仏はやっぱミュンヘンアタックしてきたщ(゚Д゚щ)
総括
墺12、英7、仏6、独5、露4という結果。墺が2増、英が2減。
終始外交も行軍も手厚かった墺が当然の勝利。この秋自体は消化試合の様相を呈していたけれども、01年から振り返れば、全員持ち味を発揮できてたようにも思う。毎度成績は振るわないけど、私も見せ場は作ってる。うん。
第一回盛岡人狼会ディプロマシー合宿レビュー、こんなところでいかがでしょうか?
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