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『可能性を感じる 2020年5月10日 夕方』

今日は、朝から小雨が降っていたが、そのまま散歩を断行した。朝から肚の調子が良く、広がりと、クリアな感じを感じる。
今日も変化のない1日だが、スペースを空けるため、可能性を受け入れるために、そのまま過ごす。


1.可能性を感じる
いつも通り、散歩の最中にセミナーの話を聞きながら歩いた。今日の自分に完全にフィットした感じで、話されている内容も肚に浸透する感じである。

今日は、「可能性」の話が中心である。

可能性の話を聞いているときに、その可能性を感じることができた。
可能性は、非常に分かりやすく「可能性」と大きな字が到来した。
しばらく感じていると、可能性が沢山散らばっていることに氣づき、その喜びで感涙した。

その可能性が何かは分からないし、肚の一致感もまだないが、今日は可能性を感じることができたので、良い時間だった。


2.多くの時間を無駄にしてきたことに気づく
カルマへの対処方法に非常に多くの時間を割いてきた。
今もなお、そこに時間を割いている自覚はある。

執着って何だろう?と考えると、
自分の正しさの証明であったり、
意外にも自分の身体の安全性の担保であったり(忙しくしたくない)、
一人が寂しいを埋める行為だったり(今はこれが多きいかな)、

会社・家族・友達関係で、それぞれの対象に対して、「何かをしよう」としてきた無駄なことに気づく。

結構気づきにくいのは、そのカルマの対処がビジネスの世界では、成功に近いものもあり、自分の中ではその無意味さに氣づくことは難しい。

分離している時代は、カルマの解決で成功している感は味わえるが、
今後は、共創の時代に入る。真に共創しないと、本当の自分には達することができない。

今まで共創に感謝とか表現してきたが、今朝今まで使ってきた共創と、本当の共創の違いに氣づいた。言葉にするのは難しいが、現実世界で何か貢献したり、氣づきを共有するというより、多次元で交流しているというか、そのような感じである。

これを言葉にしていると、肚が大喜びしている(盆踊りしている感じである)。氣づけて良かったねと言ってくれている。

今までは、文章を書くときは思考に行きがちだったが、肚にいながら文章を書いている感覚は初めてかもしれない。

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