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それは、自分に降りかかるまでは

それは、自分に降りかかるまでは、人間は冷静で、合理的でいられるのだろう。

先日、死を考えるできごとが3つあった。

一緒に飲みに行く道すがら、ケンカになり「もう一人で飲みに行ってこい!」と別れた母が、遅くまで帰らず、死んだ…?と心配したこと

季節の変わり目で夜中に喘息の発作が出て、
コロナ?あんなに強気でいたくせに、感染…死ぬのか?と弱気になった

朝の電車の中で、日々のモヤモヤからちっちゃな喜びまでいろんな想いを共有しあっていた、友人の葬儀のお知らせ。


死って、自分の身近なひとに降りかかるまでは、どこまでも人ごと。いい意味でも悪い意味でも。
冷静でいられるし、正論でいられるし、合理的でいられる。


その友人(のアカウント)から送られてきた知らせを見たとき、

あの時ああしなかったから死んでしまったのではないか
こうしていたら、生きていたんじゃないか
あれからどうしたかな、って思っていたのだから電話しておけば

今はそのタイミングじゃないと感じていたけど、会いに行くのを先延ばしにしなければ

とか、どうしようもない、誰のせいでもないことに、たら・ればを考えてしまうのだ。

そして、電車のなかの風景をみながら、必死に「いや、夢なのかな?結構今朝の寝起きはリアルだったけど、私まだ起きてないんじゃないか。」っていう可能性に賭けて、電車内に不審なものを発見しようとしたり。(これが夢である証拠であるところの、現実味のないなにかや、不具合を探していた)


それでも、車内は揺れるつり革から乗客の表情までちゃんとリアルで、どこもおかしいことはないのだった。朝の車内で、涙が止まらなくなった。(電車内でスマホでさっきまでぼけっとした顔をしてたのに、急に泣き出す人がいたら、そういう事情だと思ってあげてください)

その後は、とりあえず、今日と明日の予定はキャンセルして飛行機とらなきゃ。でも今日の船には間に合わないな。とか考えていた。


結局、その訃報は友人本人のことではなく、友人の友人の同じ名前の方のものであった。(でも、訃報だって本人のスマホやアカウントから伝えるのが一番早いから、そういう手を使うこともあるだろうと思って、死んだ人からメッセージが来た!とは思わなかった。)すぐ友人に電話をして、生存確認して、声を聴いたけれど、しばらく動悸は続いていた。鼻水と涙も。

あの知らせを見た瞬間、まるで、世界が私だけおいていったような、急に予測のつかない、異世界に迷い込んだような、そんな気持ちになった。

同じ電車という場を共有している、ほかの乗客が、どこまでも違う世界を生きている他人なんだって気がした。私はこんなにびっくりしてるけど、こんなに変化してるけど、前に座ってるおっさんは5分前と同じように見えたから。

朝から1日の全エネルギーを使い果たして、家に着いたのだった。

人がひとり、亡くなった事実は変わらない。でも、そのひとをどれだけ身近に感じているかによって、受けるインパクトは全く違う。あたりまえのことだけど。身近であればあるほど、自分を責めたり、意味のないとわかっていることをやったり、考えたりしてしまう。


喧嘩した母が、夜中まで帰ってこず、ラインの既読もつかず、電話もつながらなかったあの夜、私はいろんなことを考えた。


まあ、向こうもいい大人だし、怒って無視してるだけで、ぴんぴんしてるだろう。死んでたらもうできることは何もないけど、一番嫌なパターンは「寒い夜道で病気か怪我か強盗によって倒れていたが、いま何とかしていれば助かった」パターンだな。それだけはごめんだわ。とりあえず家族ラインに助けを求めよう。

夜中でも連絡のついた姉に、状況を説明して、行く予定だったお店の名前を伝えた。もうできることはないので、そのまま寝た。

ああ、もしお母さんが帰ってこなかったら、お葬式のハガキとかはだれに出したらいいんだろう。助産院の経営はどうしよう。母の知り合いの助産師さんはたくさんいても、私は連絡先そんなに知らないし。4月予定日の人たちにうちの助産院で出産してもらうことはできるのか。

私はまだまだ母に頼りっきりだったなあ。助産院の運営、ぜんぜん私だけじゃできないや。1年なにしてたんだ。指示に従ってただけだ。このままだと、親が死んだら収入源断たれて、貯金崩して貧困カウントダウンのノブさん状態(ウシジマくんにててくる、ホテル清掃の先輩)になってしまう。やばい。自分でも助産院回せるようにならないと!

(もちろん、開業助産師っていう仕事以外にも収入を得る方法はあるけど、人の命の誕生の前後に伴走できて、大好きな自分の家で過ごせて、環境負荷の高い病院で働かなくてもよくて、面白くてユニークなお客さんたちの人生に関われて、絵を描く時間もあって・・・なこの環境を活かさないのはもったいなさすぎる。森に隠居もいいけど、ずっとはちょいしんどいし、マジでそういう生活してる友人と互いにセイフティーネットの関係でありたい。)

そんなわけで、この喧嘩のおかげで「1年後までに母がいなくても助産師免許ある人がもう1人居れば助産院を続けられる」ようになるという目標ができた。

翌朝、おそるおそる母の部屋をのぞいてみると、ベッドの布団はまるく膨らんでいて、ちゃんと母は帰って来ていた。このお騒がせさんめ。警察に電話するところだったわ。その日も母はぷりぷり怒っていたけど、夜ごはんの時に、(美味しいものをたべて、機嫌が直ったころを見計らって)「お母さんがいなくても助産院を続けられるようにしたいので、業務の整理と可視化にご協力ください」と頭を下げて、お願いしたのであった。

いままで「言われたことを次からはできるようにする」スタンスだったのを、この日から「今回言われてやったことを、次からは、母に聞かなくても自分で考えてできるようにする」スタンスに変更。

そのためには、看護ケアと同じように、運営も根拠や意義を考えてする必要がある。「なんで7000円の領収書をこの人は2000円と5000円に分けるのか」とか、ちっちゃいこともいちいち母に深掘りして質問しなくちゃいけない。(ただし、仕事できる人間の特徴:教えるのはうまくない)その時に言い争いになることもある。

でも、ちょっと嬉しかったのは、前日に確認したこと(おもに妊婦健診料や助成券に関すること)に関連する問い合わせが保健所の方からあり、ちゃんと受け答えができたこと。(すごい小さなことなんだけど、事務仕事が大の苦手な私には大きな進歩)

気分はテストで「これ、進○ゼミでやった問題だ!」ってなってる中学生。

ここまでは、私のわかっていないことを母(先輩)に聞く。母が私に教えたいことを学ぶ。

これでカバーできないのは、私が「わからないことに気づいていないこと」を可視化していくこと。私の知らない「母にとってのあたりまえ」ってどうしたら学べるんだろう。第三者の視点が必要そうである。ここをサポートしてくれる人も探さなきゃね。

長くなったけど、母とのケンカを通して、助産院の運営にコミットしようと決意を新たにしたのでした。


メメント・モリ
死を想え
私はこの言葉が好きである。自分の死を考えるのは日常的な作業だ。

私が死んだ後、この絵を見られたら恥ずか死ぬな〜(もう死んでるんですけど)

自転車に乗れば、トラックに巻き込まれたらギャリギャリって死ぬな きっと熱い?とか衝撃を感じてるうちに死んでるんだろうな

この下着、ボロボロすぎてこれで事故ったら救急車で搬送されるの困るな

とか、毎日考えてしまう。(苦じゃない)

ただ、友人、とくに若い人の死なんて、なかなか想像することはない。

元気過ぎる母の死も、今まで真剣には考えられなかった。

死を想え。

自分の、ではなく身近なひとの。
それは行動の質を変える、と私は思う。






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