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自分の表現欲求に正直に

ある素敵な歌手の方のお話をきいて、
「自分の素直な欲求を満たしていくって大事だな。今いる足元から、好きなものを、情熱があるものを表現していこう!」と改めて感じた夜。

と言っても、それは今までもやってきたこと。
このまま、いけ、わたし!笑

もうひとつは、目の前の困っている人にできることをしたいと思った。

からの本日(1月8日)

湧いてきた欲求と、やってみたこと。


●朝見た綺麗で不思議な夢をだれかに伝えたいと思った。

→記憶を頼りに描いてみた。


●学ぶのは楽しい。日々実験するのが好き。

→興味のあった動画を4本ほど聴く。
絵を描くBGMにすると、Liveのアーカイブにありがちな視聴者への挨拶(〇〇さん、こんにちは〜来てくれてありがとう!が延々続くやつ笑)にヤキモキせずに済む。発見。


●絵を描くをもっと気軽に、クオリティ高くやりたい 

→筋トレのように積み重ねる。
(元旦から毎日一枚と決めたけど、元旦で挫折したので再開。この日はお稲荷とぜんざいを描いた。)

●お皿を拭いていたら急にピアノが弾きたくなった

→FKJのSundays を練習。
Youtubeとは便利なサービスで弾き方を公開してくれている人がいる。楽譜ない曲だし、ありがたや。

0.25倍速で弾く。さながら気分は太鼓の達人である。
結果、めっちゃ目の前に集中できた。
ピアノの音は綺麗で癒される。 

●自分のできることで誰かの力になりたい

→体の不調が続いている知り合いがいて、この間勉強した呼吸法がよさそう、と思っていたら、それに興味があることが発覚!
学んだメモをシェアして、喜んでもらえた。


そんな自分の小さな欲求を満たして過ごしていたら、面白いことがおきた!


結論から言うと、
私の在り方が変わった。
(行動も変わった)


夜7時ごろに友達が家に帰ってきた。
(一昨日から来ていて、今日は外出してた)

私たちは、普段から言葉でお互いがなにが心地よくて何が悲しいかを話し合っているので、なにで喜ぶかはわかっている。

がしかし、私の「マイペースにすごす」欲が強すぎて、一緒にすごすのにどうしても発生する「相手に合わせるじかん」がしんどくなってしまうことがある。

そんなときは、「分かっているのにできない」が発生する。

これをしたら、ダメージを与えるのが分かっているのに、そういう状況にしてしまう。
これをしたら喜ぶのが分かっているのに、ヘロヘロなために、できないか、やれても出来がしないほうがマシなレベルになる。

でも、今日はなんだかエネルギーが満ちていて、
帰ってくるときにすぐ食べられるあったかい食べ物があったら喜ぶだろうな…
と思って鶏鍋をつくり、写真を送って予告をしたり。

帰ってくるときに、暖かい色の電気が灯っていたら、ほっとするだろうな。
とすこしこだわってライティングしたり。

いろんな味があったら、より美味しくたべれるな。友達は柚子胡椒がマストだな。
と調味料の瓶をスタンバイしてみたり。

まぁ友達をダシにしてるけど、
どれも私がそうだと嬉しい状態を食卓に作り上げて、用事ができたならそれでもええわの気持ちですごしていた。

講習から帰ってきた友達は、そういう、言葉にもなっていない「私の喜ばせたいムーブ」を受け取ってくれて、その喜びを言葉でも伝えてくれた。

「柚子胡椒、もう出してあるよ」とドヤ顔のわたし。

結構、こういうんが幸せである。

鍋が落ち着いたら、本日の勉強報告会。

お互いの学びや所感を話して、しつこく掘り下げ、分析しあう。
それぞれの学びと経験がつながりあっていく喜び。
大人の学習 アンドラゴジーの醍醐味。
やらかしも、思い出も、ぜんぶ学びと幸せの材料になっている。こやし。


つまり、つまり、
私は創造欲求が満たされると、人に優しくできるということ。
表現、実験、やってみるのが好きである。
学んだことを共有、互いに深め合えるのは喜びである。


自分の欲求に正直に生きる。
そんな1日を重ねていきたいな。

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