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大自然の陶酔フィルター

ある東京の乗馬雑誌の撮影だった。
10数年ほど前に仕事で、貴重な馬キャンプを経験した。

馬キャンプと書いてみたけど、本当のところ何と呼ぶのかは知らない。
説明すると、囲まれた敷地内での乗馬ではなく、外乗と言って敷地の外に出て草原の道なき道を馬で歩く。しかもだいたい丸1日。夕方になると適当な場所で野営の準備をして、馬を横に夕食や寝床を作り、一夜を明かして、翌朝また馬で帰るというもの。
これには阿蘇のだだっ広い大草原と、アメリカ的な草原を駆け回れる種類の馬(ド素人なので品種も理解していない)を用意してくれる牧場があってのことで、馬など子供の頃、おっちゃんに手綱を引いてもらって狭い敷地を数分で回ってくる経験しかない僕には本当に思い出深い体験だった。いや、もしかしたらあれは馬ではなくポニーだったかもしれない。そもそも馬とポニーの違いもよく分かっていないかも。

その時の仕事は、道のない大草原、馬でしか進めないような起伏に富んだ地形を行くというので、車で併走しての撮影は不可能だと言われ、とにかく馬に乗れの一択だった。短時間で馬の乗り方を教えてもらい、大して機材は持っていけないので、小さめのカメラバックにカメラとレンズ2本ほど、あとは10本ほどのフィルムを詰め込んで肩に斜め掛けして、馬に跨がった。もう後はなるようになれ、な状態。

しかし、30分もすると少しだけ慣れてきて、地平線まで同じ景色が続く春の草原を延々と馬の背に揺られていると、草が風に揺れる音、馬の呼吸や足音だけが響いて、映画で観たアメリカ開拓時代のような気分になり、頭の中の時間というか時空がなくなって地球と一体化していくような、なんとも言えない初めての感覚に溶け込んでいった。

とは言っても、僕はカメラマンとして同行している。写真をその陶酔感覚で撮るのは本当はとても危険だ。すごく良く写っているかもしれないし、現像してみて、何じゃこりゃの可能性も秘めている。(そこがフィルム最大の魅力でもあるけども)
でも、もういいのだ。なるようになれ、である。それくらい初めての高揚感であり、陶酔感だった。

夕方からの野営がまたいけない。
馬に多くの荷物を詰める訳でないので極めて簡素でワイルド。近年のキャンプの一種であるブッシュクラフトよりも荒々しいのは、ブッシュクラフトが敢えて面倒なことを楽しむのに対して、最小限の労力で生きることを楽しむ感覚。馬と共に一夜を共にすることで”生きる”を実感できるのだ。少量のお酒は飲んだが、おそらく飲まなくてもベロンベロンに陶酔できる。

翌朝、仕事を終えてお世話になった人に別れを告げ、昨日、馬と歩いた草原を車窓から眺めながら、ミルクロードをフルサイズの古いサバーバンというアメ車で帰った。それはそれは、深く心に刺さる思い出になったのだった。

あれからだいぶ経って、昨年末。
同じ牧場に撮影で伺った。

今回は馬キャンプでなく、1時間ほどの草原乗馬体験というネタではあったけど、馬と大自然が見せてくれる景色は何も変わらず美しいものだった。

僕の脳には、永遠の陶酔フィルターがかかっていることは事実だけど、Noフィルターの人が見ても、あの大自然と馬が見せてくれる美しさは、きっと変わらないと思う。

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