読書はたのし
早朝、見上げるとうろこ雲、ではない、ひつじ雲だろう。
低い位置だし、手を伸ばし指一本で隠れないのでひつじ雲だ。
秋の気配か、単なる天気の崩れの予兆か。
最近、noteの写真のためにキョロキョロと観察するようになった。
気にも留めなかったものが貴重に思えてくる。
些細な発見でも嬉しくなる。
草の繁った庭で、撮るものがないと思っても、目を凝らせば被写体はいくらでもある。
ここ二日休みなので、本を読んだり、noteの記事を読んで過ごしている。
今日は安岡章太郎の「文士の友情」エッセイ本のことを少し書いてみる。
この本は県立図書館コーナーにあった。
今は文士など言わなくなったが。
アウトプットできるというのは新鮮な喜びである。
シャンパンの朝
「あれは平成五年、夏の初めに井伏鱒二さんが亡くなって、まだいくらもたたない頃だ。朝の十時過ぎ、窓の下の道傍から、『オーイ、オーイ』と呼ぶ声がする」
先を読みたくなること請け合いの冒頭だ。
「シャンパーニュ・マルキ・ド・サド…ブリュット・ロゼ」なるシャンパンを手に訪ねてきたのは吉行淳之介だ。
渋澤龍彦の夫人から貰ったといい、ラベルまで小細工している。
そこからシャンパンを初めて飲んだのは、吉行の芥川賞のお祝いに、武田泰淳夫人、武田百合子から贈られた時と続く。読書好きの人にはたまらない話が満載だ。
武田百合子の「富士日記」は面白かった。
「さしあたり村上春樹は、昭和初期の竜胆寺雄さ」と吉行がいう。
「題材の目新しさに工夫をこらし、それをセーリングポイントに読者を大量に掴むところなどは〜また村上氏が空っぽの井戸の底に一人でもぐって空を見上げながら、歴史に想いをいたすなどと言い出すところなんかは、竜胆寺氏の小説に通じ合う要素がある」
竜胆寺雄は知らないが先輩がたの話を盗み聞きしているようでワクワクする。
作家の交友エッセイは小説を読んでいるようだ。
芸能人のゴシップは興味がないが、作家のそれはミーハーになる。
ミーハーは死語かな。
それにしても現代の作家は羽目を外せないし、悪口も書けないし腹ふくるることが多かろう。
今日も読んでくださってありがとうございます。
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