四十にして惑う
四十歳で悩んだのは私だけではないのだと、あるコラムを読んで思った。
「四十にして惑わず」は遥か過去、そして終身雇用だった昭和の頃までしか通用しないだろう。
今は、もっと若い頃から生きかたに惑うひとが多いようだ。
実は、今でも「これでいいのだろうか」と思うことはあるが、初めて芽生えたのが四十の時だ。
それまでは成り行きまかせで走っていた。
急いで走りすぎて結婚、離婚、子育ても終わりが見えていた中で、
仕事や生活に喜びが見いだせずにいた。
その頃突然のように植物が見えてきたのだ。
悩みながらも愉しみが見つかり、このまま進むかと思っていたが、そうではなかった。
登山に来た島に魅せられ、別の生きかたを夢想するようになったのだ。
移住など状況を思えば考えられず、ただ夢見ることで満足していた。
しかし数年後、幸運の女神が微笑み、困難を乗り越え、島に移ることができた。
私は女神さまに愛されるようないい人間ではないのに、微笑まれたとしか言いようがない成り行きだった。
引き寄せの法則というが、まさに願いが通じたのだ。
認めてくれた両親や子供たちにはとても感謝している。
島に遊びにきた姪っ子が言った。
「おばちゃんのようには、なるなよ」
小さい時からおじいちゃんに言われていたと。
そのせいか、彼女は堅実な道を歩いている。
理想的な生活ですねとコメントをもらって、嬉しくなり、島へ来た頃に思いを馳せた。
愉しいことばかりではない、不安も多いが、今ここは満足している。
惑い、悩むは転機の始まりである。
今日は大雨で、写真があまり撮れなかった。
今日も読んでくださってありがとうございます。
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