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行きかふ年もまた旅人なり

芭蕉はちょうど今の季節に、庵を人に譲り奥羽、北陸に旅立っている。
ちぎれ雲に誘われて、漂泊の想いを止められずに。
その想いがよくわかる。

わたしは生きていくことが、漂泊の旅だった。
現実の旅は、始めた途端に、この島に出会ったので途切れてしまった。

そして島で、日常の旅に満足しているが、漂う旅への想いがなくなったわけではない。
ちろちろと揺れる消し炭が残っている。

去年の秋、必要に迫られた買物を口実に、原付バイクで海を渡った。
こころ細さが、漂泊の旅を思わせた。
交通機関を使っての移動ではその感じは味わえない。
味をしめたので、今年はもっと遠くに行こうと思っている。

「チャーリーとの旅」というスタインベックの本を偶然見つけた。
「ああ、読みたい」と思った。
県立図書館にはなかった。(詳細に調べたら全集の中に入ってるようだ)
オンラインは、私には買えない値段だ。


1960年、58歳で愛犬チャーリーと、改造したトラックでアメリカ一周の旅に出る。
ロードムービーになりそうな設定だ。
現代と違って困難な旅だっただろう。

私も夢みる、まだ訪れたことのない関東より東の旅に出ることを。
奥の細道を歩いた芭蕉の年齢より、とっくに、とっくに超えているが。
山頭火もいるではないか。

かなわぬ夢だが、こうして島に住むことも夢だったはずだ。
もち続けよう、見果てぬ夢でも、少しずつ近づけるかもしれない。
それから、「チャーリーとの旅」も読めますように。

風にあたりたくて散歩に出た。
「コデマリがまだ咲いている」
雪柳、八重のユキヤナギだった。
名前の知らないランも、シランも競って咲いている。

「雪柳 八重さん真っ白できれいだね」
「黄野 蘭さん可愛いね。」
「紫 蘭さん知らんぷりしないで!」


今日は「いつまでも夢を」でした。


読んでくださってありがとうございます。



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