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黒ユリ伝説

道路沿いや山辺の道脇に、姿を誇示して咲いていたテッポウユリが、年々少なくなっている。
そのかわり家の庭によく見かける。
「鱗茎は残しておこうねー」

我が家の庭にもあり、蕾からなかなか開かなかったが、ようやくラッパ型に開花した。
香りも漂い、庭に華やかさを添えてくれる。

白ユリが咲いたらnoteに載せようと思っていた黒ユリ伝説を、書いてみる。
先ごろ、白洲正子の「草づくし」で知った伝説だ。

信長に仕えていた佐々成政(さっさなりまさ)は、越中富山の太守に命じられた。
その成政は小百合という侍女(側室だったりもする)を寵愛していた。
小百合が小姓と親しくなり、身ごもったという噂がたち、否定するにもかかわらず、成政は河原でふたりを無惨に切り捨てた。
一族郎党も殺されたそうだ。

「私は亡霊となり、立山にどす黒い血のようなユリを咲かせる。佐々木家も滅びるだろう。」
小百合は呪って死んだ。
その後秀吉に切腹させられて、佐々家は滅んだらしい。

滅びる以前、成政は茶会の花のため、北政所に黒ユリを一輪贈った。
それを知った淀君は、石田三成に頼み五十本もの黒ユリを茶室前の廊下に並べたという。
北政所は結局飾れなかった。
ふたりの争いの道具になったエピソードもあるようだ。

北政所もあえて一輪飾れば、千利休が軍杯をあげただろうに。
朝顔を全部とってしまい、一輪だけ飾った利休ならばそうするだろう。

まあ、これは尾鰭のついた語り草であろう。

私は白山登山で、咲いている黒ユリをみた。
そんな伝説に似合わない、可憐な小さい褐色のユリだった。
なんとなく寂しげではあったが。

伝説が生まれるほど、稀有な花なのだろう。
北海道にも黒ユリが咲くが、もっと大きいらしい。
花屋にあるのは蝦夷黒ユリだそうだ。

黒ユリは呪いの花というほか、恋や愛という花言葉もあるようだ。
これはアイヌで、好きなひとの側に気づかれず黒ユリを置くと、両思いになるという言い伝えらしい。
そういえば「黒ユリは恋の花」と昭和の歌謡曲にあったようだ。

やはり花の伝説は女性が多い。
ギリシャ神話では、水仙の精はナルキッソスという男性だ。

新しいことを知ると人に話したくなる。

黒ユリは七月頃に咲く。

今日も読んでくださってありがとうございます。



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