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旅と宿と引き算。【シ的なHolidays】

2017.11.13〜11.16:高知旅

宿をやり始めて18年にもなるが、実は同業者の宿(いわゆるゲストハウス系)に宿泊したのは両手でこと足りほどしかない。
なぜかと問われれば特に理由はないが、かみさんと二人であることが多いことと、たぶん休みの時ぐらいそういうモノから離れたいということもあるかと思う。
今回は温泉宿に泊まった。部屋はコテージふうの棟にあって、バストイレ付き。レセプションやレストランやお土産屋や温泉大浴場は別棟で、カフェ&バーも別の棟で独立していた。部屋の窓を開けると雑木林しか見えないが、波の音や鳥のさえずりが聞こえる。ソコハカトなくニュージーランド北島のコフコフのバックパッカーズホステルを思い出した。まあ、あとは至って日本の普通の温泉ホテルと変わりない。
僕が当時宿を始めるにあたって、日本には同じような宿はほとんどなく参考にすることもなかった。まあ、参考にしたのは200軒弱滞在したニュージーランドのバックパッカーズホステルで、それも大規模ではなくキャパが10〜20名ぐらいの宿だった。
それともうひとつ重要な参考ホテルがある。
それは日本のホテルや旅館。それも有名温泉地にある巨大なホテルだ。
温泉ホテルには全てがあった。
ふかふかで清潔なベッド。テレビや冷蔵庫。充実したアメニティ。大浴場やレストラン。カフェがあったり、バーがあったり、カラオケがあったり、宴会場があったり。ラーメン屋もあったり、お土産屋もあるし、コンビニ並みの売店やゲームセンターだってあるし、卓球台やテニスコートやプールもあるとこだってあった。部屋の窓からは素敵な景色が拡がり、毎夜花火大会も観ることもできるとこだってある。送迎のバスで一歩そこに入ったら、もうホテルから出ることなく過ごすことができる。ひとつの街のようなホテルだ。
「そのホテルに泊まった旅人は、そのホテルから出て、そのホテルのある町を歩いてみて回ったのだろうか?町にあるレストランやお土産屋を利用したのだろうか?旅の目的地がその町ではなく、そのホテルなのではなかったのだろうか?」そんな疑問が頭をかすめる。
僕はそういった宿と対極の宿を作ろうと思った。
その巨大温泉ホテルからどんどん引き算をしていき、街にあるモノは宿からできるだけ削ぎ落としていった。
大浴場は銭湯で。レストランやカフェやバーは街中で。お土産屋やアクティビティは観光地で。イベントは街の催し物モノを。素敵な景色は町歩きで。送迎の代わりに自分の足で散策を。
旅人への「おもてなし」のために何かを足し算していくこはせず、引き算して残った芯(あるいは根っこ、もしくはカス)のような宿にしよう。。。と。
そして、「旅の目的地はこの宿ではなく、この町であってもらいたい」そんな宿でいい。
それが僕が目指す宿。
それは、いまも変わらない。
たぶん、昨今の人気のあるゲストハウスに行くとムクムクと足し算の思考が湧き上がるかもしれない。ああ、こんなに素敵なバーがあったら。こんなに楽しいイベントをやったら。こんなに充実したアメニティやおもてなしをウチでも。。。そう半ば羨ましくあるいは妬ましく思うに違いない。そんな心の弱い矮小な自分だし。
今回もあえてそういう対局の宿に宿泊した。で、結構満足した宿泊だったが、改めて思ったのはやはり引き算思考。そして割り算も少し。
これはすごくいいがやめよう。これはあった方が旅人には便利だから、半分ぐらいの感覚で取り入れようか。これは要らない。これはやらない。これはウチには似合わない。これの3分の1ぐらいはウチにも。。。
休みだというのに、いい勉強になった。
できることなら、宿泊料金ももう少し引き算できたら、いいんだけどなぁ。。。


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