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APRIL — Auckland [1995年4月-3] (005)

 海からオークランドを眺めてみると、
 「やっぱり、だいとしなんだなぁ」
と改めてわかる。ニュージーランドの約三分の一の人々がこの街で暮らしている。といっても百万弱。札幌(百八十万人・1996年当時)より少ない。レベッカに日本の人口を教えると顔をしかめる。誰もがする反応だ。きっと想像がつかないのだろう。

 「オークランドの交通事情は最悪。これはこの国の大問題なのよ」

 ワイヘケ島でシーカヤックのガイドをしているマックスの娘がいう。彼女は大学で都市開発の勉強をしているのだ。
 ぼくらは英語学校の週末アクティビティに参加し、オークランドから船で三十分のところにあるリゾート地ワイヘケ島に来ていた。参加者は、スイス人が二人とドイツ人、韓国人、そして、ぼくらの六人。ホーストレッキングとシーカヤックが目的だ。
 しかし、島に着くなり雨が降り出し、風が強くなってきた。そのうえ、アクティビティ担当のマイケルは「熱がある」といい、来た船で無責任にも帰ってしまった。結局、その日はガイドの家で何もせず、お茶を飲みながら過ごした。ぼく以外みな女性で、一見楽園のように思えたが、これまた大変であった。
 「そうね。バスが良くないわ」マックスの娘の意見を受けて、ドイツ女性がいう。
 「サービス不足だし、タイムテーブルもダメ」
 「そう思うわ。ねえ、日本はどう?」
 急に振られたので、考えがすぐに英語にならず狼狽していると、
 「日本はさらに最悪よ。人口が多過ぎて」
 とドイツ女性がぼくの発言の場を奪う。

 ここに来て依頼、ぼくらは彼女によって声を遮られがちであった。例えば、マックスに「学校には日本人が多いのかい?」と聞かれ、「YES」と答えたあと、すぐさま彼女が不機嫌そうに口を挟む。
 「多いわよ。日本人はダメ。すぐに日本語で話して、ちっとも勉強しないから上達しないのよ」
 確かにその通りであるが、「さっきからスイス人とドイツ語で話しているお前は、どうなんだぁ」と反論したかったが、すぐさま英語にできず、笑顔で睨みつけるだけだった。
 彼女は二人のスイス女性を従え、リーダー的な存在だった。ぼくらと会話をしようとはせず、こちらから話しかけても「おまえの英語は、全然わからないわよ」というような呆れた態度で短い返事をするだけ。ぼくとかみさんは内心ムカムカしていた。可哀想なのは韓国女性で、初級クラスの彼女は、いつも助けを求める目をして、かみさんを何かと頼り、常にそばにいた。
 一度嫌いになると、どうも物事はうまくいかない。ドイツ女のやることなすことすべて気に入らない。次第に雨が強くなるのと同じように、その感情は増していくのだ。
 翌日も天候不良のため何もできない。ここに居てもやることがないので、韓国の女の子と三人で一足先に帰ることにした。
 朝食の席、ここに来た記念とその場を少しでも和ませようと思い、
 「みんなの写真撮ってもいいかな?」
 と、にこやかに同意を求めが、ドイツ女はこちらを見ることもなく、コーヒーを啜り、やれやれというふうに口を開いた。
 「じゃあ、お金ちょうだい」そして、こう付け加えた。
 「観光地のアメリカン・インディアンはそうらしいわよ。知らないの?」
 ぼくは込み上げる感情を抑え、ニコニコしながら返した。
 「いくら欲しい?」
 「冗談よ」と彼女が嘲り笑う。
 「いいよ。払うよ。欲しいんだろう?でも、写真は辞めた。君はインディアンじゃないんでね」
 ぼくは言い終わらないうちにカメラを閉まった。感情にまかせて口から飛び出した英語が正確であったかどうかわからない。それに、彼女がそれを理解できたかどうかもわからない。しかし、彼女は苦笑いしながらスイス人と顔を見合わせ、「やれやれ」といっているようであった。

 「いけ好かない」

 かみさんは帰りの船でそう吐き捨てた。少なからずあのドイツ女に関しては、ぼくも女房に同意見だ。かみさんは初めてドイツ人に遭った。たった一人のそのドイツ人のせいで、ドイツ人は皆プライドが高く、英語の不得意なぼくらを見下す民族なのだ。と、誤った偏見を持ってしまったようで、船に乗っている間かみさんは彼女の悪口を言い続けた。

 数日後、一緒に島に行ったスイスの女の子と話をした。体格のいい彼女は、実はあのドイツ女が苦手で、彼女のことをこう呼んでいた。指で鼻先を持ち上げるアクション付きで。
 「エロガント (arrogant)」
 傲慢という意味だそうだ。大変勉強になった。


線上からオークランドを眺める。。。


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