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MAY — Auckland [1995年5月-1] (006)

 秋雨の降る日が増えはじめる。

 椿の蕾がふっくらと膨らみ、楓や白樺の葉が色付きだした。
 「秋だよねぇ」
 と、かみさんが小首を傾げながら呟く。
 それもそのはず、どうにもピンとこないのだ。それはここが南半球の所為だけではないだろう。ここの樹木は白樺やプラタナスに交じって、ニカウパームのような南方(北方?)系のモノや、松などの針葉樹が乱立し、リンゴやオレンジ、レモンがたわわに実っている。それはまるで無造作に樹木を配置された植物園。「秋」といっても、日本のあの見事で色鮮やかな紅葉は見られない。それにタズマン海と南太平洋からの強い風によって、ほとんどの葉は綺麗に衣替えする前に力尽きてしまうのだ。
 それでも秋は秋。屋台の果物屋には丸々とよく肥えた柿が出はじめ、旅行代理店では南島でのヘリスキーや、南太平洋の島々への避寒パックツアーの広告が目立ってきた。夕方六時を過ぎると辺りは既に暗く、震えるほど寒い。家への帰り道、どこからかあの懐かしく鼻腔を擽る薪ストーブの匂いが漂ってくる。
 「ああ、やっぱり秋なのだ」

 「お鮨が食べたい」
 かみさんがとうとう日本食に飢えてしまった。
 日本を離れてまだ一ヶ月目だが、代わり映えしない食事に飽き、まだ舌根に郷土の味が幻覚のように残っているのだ。生まれて初めての海外生活を強いられた彼女にとって、それはホームシックとも呼べるし、一種の五月病ともいえるのではないだろうか。このところ口喧嘩が増え、気の強い彼女がふくれて反論する前に涙を見せる。このままでは、彼女はますます落ち込み、夫婦の危機であると、半ば面白がりながらも真剣に考えたぼくは、ここで思い切った決断をした。
 「結婚記念日のランチは、鮨にしよう」
 しかし、その日は運悪く土曜日。当然のことながら多くの会社は休みで、本屋やブティックなどの店も半ドンが多い。前々から決めていたやや高級日本食レストランも、何を気取っているのか朝から休み。日を改めても良かったのだが、諦めの悪い彼女は「他の店でもいいよ」と強行。カラダもココロも鮨モードになっているのだ。思い当たる日本食レストランは、すべて閉まっていたが、彼女は断念することなく、鮨嗅覚で映画館のある雑居ビルの中の一軒のSushi Barを探し当てた。それはまさに執念。
 「ここ。ここでいい。早くお鮨が食べたい!!」
 彼女には『SUSHI』の五文字しか目に入らない。
 「リトル・セオウル?セオール???」
 店名が気になったが、彼女に引き摺られるように見慣れた暖簾をくぐり、店内に連れ込まれる。白木のカウンター、ガラスのネタケース、一升瓶の日本酒、寿司桶、神棚、招き猫、畳の小上がり、座布団、障子。そこには日本の寿司屋があった。店名などどうでもよかった。
 お昼の時間帯をとうに過ぎていたので、他の客は誰もいない。店員と昼食をとっていた板前は、急いで食べるのを止め、ニコリとしながら、
 「Hello!」と、いう。
  どうやら、彼らは日本人ではないようだ。雰囲気が日本の寿司屋だったので、不釣り合いの対応に少々尻込みしながらも、テーブルに案内され、メニューを開く。当然のことながら品書きは英語がメイン。その下に間違いの多い日本語。そして、韓国語で補足。。。
 「ああ!リトル・ソウルかぁ!」
 なんとも自分のボキャブラリーの貧困さが情けない。
 「でも、なんでソウルなの?」
 「韓国人だからでしょ」と、かみさんはなんの疑問もなくあっさり答える。
 「でもここはどう見ても日本の寿司屋だよね?」
 「そうよ。寿司屋よ」
 もう鮨以外どうでも良いようだ。
 彼女は眼をキラキラと輝かせ喰い入るようにメニューを見ていたが、ぼくの頭の中では鮨と韓国が上手く結びつかないでいた。例えばそれは、割烹料亭「ニュー・デリー」とか、イタリアンレストラン「上海」とか、カニ料理の「北海縞海老」といった具合に、なんとも腕を組み、入店を躊躇ってしまうようなネーミングである。
 それに、寿司屋で日本語が使えないのもひと味欠ける。しかし、「これもニュージーランドならでは」と、自分を納得させ、握り鮨のラージとかみさんの好物であるの天麩羅を注文。ぼくの好物の日本酒は予算の関係で断念。
 話を訊くと、ここの板前さんは日本で二年ほど修業をしていたそうで、日本語も多少理解できる。鮨を握る手つきも、しっかりしていて問題はなさそうだ。ただ、ネタ数が少ない。スナッパーと呼ばれる鯛と、サーモン、ヒラメ、カンパチが二貫ずつと、海老と玉子が一貫ずつの十貫でラージ一人前。白身魚が多く味が単調。ぼくの好きな貝類やイカタコ、鮪がなかったのが残念。ニュージーランド沖ではマグロ漁もしているようであるが、そのほとんどが日本へ輸出されていて、現地では高級品で、入手困難なのだそうだ。
 「やっぱり、日本食よね」
 彼女は、握り鮨と一ヶ月ぶりの味噌汁を堪能していた。いりこ出汁を使った豆腐とワカメのちょっと濃いめの味噌汁だ。
 セットには、サイドディッシュがついた。ナムルとカクテキ、韓国海苔。握り鮨とこの組み合わせは、不思議にも新鮮であったが、そこはかとなく変で、なくてもよかった。
 問題は遅れてきた天麩羅。あれは天麩羅ではない。あれは天麩羅のカリッサクではなく、ガリッザクとした歯応えは何かが違う。海老にしても、カボチャにしてもパン粉をまぶした時点で、それは天麩羅ではなく、「フライ」になってしまうのだ。
 「ああ。これは『てんぷら』じゃなく『てんふら』なのよ」
 彼女はズッキーニのそれを摘みながら、メニューを見て言った。見てみると、英語では『TEMPURA』とあったが、日本語では『てんふら』と記されていた。
 「なんだぁ。てんふらなのかぁ。てんぷらのようなフライなのだな」
 と、納得しながら、ぼくらは六回目の結婚記念日を、ニュージーランドで韓国人板前さんが握る鮨とてんふらで祝ったのである。(2に続く)

屋台の果物屋

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