APRIL — Auckland [1995年4月-1] (003)
オークランドの秋は、イースターから始まる。
明け方、窓を激しく打ち付けた雨は、何事もなかったかのように晴れ上がっていた。それにしても雨の降る日が多く、朝晩はセーターの一枚も欲しくなるほど肌寒い。そのクセ、昼間は真っ青な空からジリジリとした強力な陽射しが降り注ぐ。気分的には爽快であるが、三十代間近のカミサンは、
「日焼けして、シミになっちゃう」
と嘆き、大量の日焼け止めクリームを毎朝せっせと塗ったくっていた。しかし、坂の多いダウンタウンの上り下りで汗だくとなり、彼女の苦労も水に流れてしまうのである。このアップダウンの多さと勾配は、「坂の街」と呼ばれている郷里小樽の比ではない。
そして、その人々を狙って、今にも壊れそうな古いタイプの日本車が加速してくる。更に、その車の間を縫うように書類を運ぶ自転車が急な坂を転がり落ちてくるのだ。
なんともタフな街だ。
「運動しなくちゃね」
とカミサンが息を切らせながら云う。ぼくは大きく深呼吸をして首肯いた。生活しはじめて一週間。ぼくらには、この街のタフさがまだ身に付いていない。
「じゃ、またあとで」
市内を走るイエローバスのドライバーズジャケットを細身の躯に羽織って、ホストファーザーのシェルが仕事に出掛けた。どっしりとした奥さんのレベッカも、休日だというのに朝早くビルの清掃にいった。「午前中に終えたいの」と、昨夜そう言っていたのを思い出す。
ぼくらはいつもより三時間ほど遅い朝食をとる。コーンフレークと牛乳とバナナ。ぼくはこれにフィジョーと呼ばれるフルーツを庭から採ってきて加える。ほどよい酸味と甘みが爽やかであるが、カミサンは「ふつう」といって好んで食べない。彼女にとっての「ふつう」は、「嫌い」の部類なのだ。今までコーンフレークを朝に食べたことがない。どちらかというと「これはお菓子なのだ」と信じていたのだ。しかし、「喰えりゃいい」のぼくは、「こんなもんさ」と、すぐに慣れてしまった。彼女にそのことを云うと、
「ふつう」
と感想を述べ、彼女はスプーンでコーンフレークを口に運んでいた。
「さて、今日はどうしようか?」
今日はイースター休日の三日目。英語学校に入ったばかりの週末、計画を立てる暇もないまま、予期せぬ大型連休に遭遇し、ぼくらは行き当たりバッタリの日々を過ごしていた。
初日は取り敢えずカミサンの大好きな動物園に行った。お目当てのキーウィ・バードは、すっかり闇に溶け込み、その姿を見ることができなかったが、のんびりゆったりと広い動物園を楽しむことができた。
隣のウエスタン・スプリングスでは、黒い白鳥「ブラックスワン」が悠々と水面を漂っていた。白鳥のくせに黒い。そこはかとなく不協和音的ではあるが、その美しさは白い白鳥にも負けず劣らずだ。
「気品があってカッコイイ」
カミサンは初めて見る黒鳥をひとめで気に入ったようだ。その燃えるように紅く鮮明な嘴が素敵であった。
二日目は、レベッカと一緒に食料の買い出し。
彼女らは、これまでカミサン人もの日本や韓国からの留学生をホームステイさせている。その道のプロだ。
「食べたいものがあったら、好きなもの選んでね。日本のお菓子もあるわよ」
と親切に言ってくれるものの、ぼくら日本人はどうしても遠慮というか、慎み深いというか、内向的というか「じゃあ、コレとコレ」などとはいかない。ただ親切な彼女にニコニコしながら、「はい」と答えるしかできなかった。内心は困っていたのだ。
倉庫を改造したこの中国系大型スーパーマーケットは、中華料理特有の香辛料の香りが充満していた。臭いに敏感なカミサンは、初めて目の当たりにする光景に目を輝かせながら、しきりに鼻をムズムズさせていた。(2に続く)
オークランド、ダウンタウンにて
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