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日記の遍歴とこれから

 私が初めて日記を書いたのは、小学六年生の冬休みだった。
 父親の仕事の関係で文房具が沢山あったから、日記もその中から選んだ。単行本ぐらいの大きさで、ページ数もそこまで多くなかった。
 始めた理由はもう思い出せないけれど、「家族のみんなはトランプで遊んでるけど、私は遊びたくない」という書き出しだけは覚えている。とにかく機嫌が悪かったのだ。
 寝る前に一日を振り返りながら、好きだったアニメや小説の感想をボールペンで書いた。

 中学生。日記は二冊目になった。
 一冊目と同じように実家で余っていた物で、今度は京極夏彦の文庫本並みの分厚さだった。
 日記の内容は相変わらず、好きな物事に対して感じたことを書いていた。それから学校への不満、主にいじめっ子に対する怒りを書き殴っていた。大抵のことは両親や幼馴染に打ち明けていたけれど、誰にも言えない本音は文字に書いて発散していた。
 無料レンタルサーバーの忍者ホームページで個人サイトを持ったきっかけで、忍者ブログで日記を書くようになった。今とは違うハンドルネームだった。

 高校生。モバイル向けの個人サイトをナノで始めたきっかけで、メール経由で投稿できるリアルタイム(ブログ)を始めた。
 長めの文章は忍者ブログ、短い文章はリアルタイム、と使い分けていたけれど、高校三年生の頃にはモバイル向けの個人サイト一本になり、日記はリアルタイムだけになった。
 同級生に誘われてGREEとmixiもやった。
 GREEでは他人の日記を読んだり、趣味のコミュニティでの交流を楽しんだ。
 mixiではどちらかといえば愚痴を書いていたので、苦手な同級生に見つかりそうになって退会した。

 専門学生。同級生と一緒にTwitterを始めた。
 リアルタイムのように使えて、時系列で書き込みが見れるのが新鮮だった。SNSに抵抗はなかったし、繋がっている感覚をより強く感じられた。
 初期のフォロワーの半分は同級生や先輩だった。授業の感想や進路についての悩みまで、息を吐くように書いた。自分の気持ちに正直でいられた。
 一時期、一眼レフで撮った写真をエキサイトブログに載せたり、tumblerでホイットニーの訃報や、桜にまつわる思い出を書いたこともあった。

 社会人になりたての頃は、瞬間湯沸かし器のようにツイートボタンを押していたけれど、年を取るにつれて衝動的な書き込みは減った。
 ネガティブな内容や二次元の妄想はタイムラインに表示されないように、@TOSへリプライを送るようになった。
「おはようからおやすみまで」が密かなモットーで、日々の出来事を書いたり、診断メーカーで遊んだり、聴いている音楽にハッシュタグを付けた。Twitterは生活の一部だった。

 好きなジャンルに対して同じ熱量を注げなくなって、タイムラインを眺めるだけで満足することが増えた。
 自分の好きな物が誰かの地雷だった。
 よそはよそ、うちはうち。そう言い聞かせても人目が怖くなった。
 長年重宝していた@TOSの凍結も解除されて、今まで通りの使い方ができなくなった。
 いっそアカウントを消そうかと考えながらも、十年以上の歴史が詰まった日記を削除してしまうのは躊躇った。
 話題がなくても日課にしていた「おはようございます」のツイートを止めてから、少し身軽になれた。このまま適度な距離を保っていたい。

 noteを始めた理由は、小説と長めの日記を書く場所がほしかったから。
 いつかは紙の日記に戻るかもしれない。それでもこうして文章にすることで、自分の気持ちを整理できるような気がした。

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