弘法大師の道と先達
弘法トレイルという大会がある。
弘法大師が1200年前に、奈良の吉野山にある金峯山寺から南に一日西に二日歩いた上で高野山に辿り着き開山するに至った道を、普段は修験者の聖地の中を弘法大師の道として年に一回走ることがてきるのである。
距離は、50km強であるが、急登が数多くありタフな大会でもある。
この大会を5回完走すると準先達、7回完走すると先達として天台宗の金峯山寺の管領と真言宗の金剛峯寺の座主のお二人から免状を頂くことができる。
今年、とうとう7回を完走して晴れて先達となった。
そもそも、先達とは何か?センダツともセンダチとも読むようで、辞書では
1 他の人より先にその分野に進み、業績・経験を積んで他を導くこと。また、その人。先輩。
2 山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の指導者。
3 道などを案内すること。案内人。また、指導者。
とある。
果たして、他を導くことができるかは、心許ないが、一つ言えることは継続した努力と時間がかかるということである。
オリンピック選手でも、どんなに早くて有名な選手でもいきなりは成れない。そこに、最低7年の年月が必要となる。完走できない年もあるので、7年以上かかることもあるだろう。
ここに救いがある。鈍才であっても、続けることで人が辿り着けないところに行ける可能性があるということである。
天才とは、天から与えられた努力とする才能であるならば、人は誰でも天才になれる可能性を持つ。
誇れることは殆どない自分であるが、もう一つ、サロマンブルーという称号も持つ。
これは、サロマ湖100キロウルトラマラソンを10回完走するともらえる称号で、やはり10年以上の年月をかけて手に入れたものである。
メイさんもサロマンブルーになっており、弘法トレイルでは、昨年5回目の完走を果たして準先達となっており、今年も完走したため来年完走をすると先達になる。
体が小さいメイさんは、段差のある山を走るのには相当の負担がかかる。
だから、完走するために、普段から2リットルのペットボトルを2本、4キロの錘をリュックに入れて背負い生活をしており、結局は継続したこんな努力の賜物なのであろう。
続けること、それも小さなことでも続けることは、案外難しい。特に、自分の生活習慣を変えるのは難しく、三日坊主で終わることが何と多いことか。そこに相当な思いや目標が無いと難しいのであろうか?
一日の苦行のような時間を過ごしてゴールに辿り着き、お風呂に浸かり、ビールを一杯飲んで眠りにつく。何と幸せなことだろうか?
基本的に特に熱中することがない僕が、本を読むこと、想像し考えること、そして走ることだけは続けてきたような気がする。振り返ってみると、どれも、単なる習いでなのであるが。
継続は、力なり。それも、無理をせずに続けることで気がつくと人には到達できない何らかの力はついているのかも知れない。
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