しっかりアウトプットしていくことについて
「学んだこと、インプットしたことを、しっかりとアウトプットしていこう」
毎年「今年こそ!」という思いで、こんな決意をしている気がする。
ここでぼくがいう「アウトプット」とは、仕事の成果物(コンサルティング会社でいえば最終報告書)のような高度なものだけではなく、もう少し身近な
「なにか記録に残るかたちで、自分の思考、観察、感情、示唆などを残すこと」
ぐらいのゆるいものも含む。
別の言い方をすれば、「言語化」と呼べるかもしれない。とにかくかたちがあいまいな思考や感情に「ことば」を与えることを指す。
なぜアウトプット(言語化)が大切なのか
ぼくがこれを大事だと思うのは、
「そのときそのときに『頭の中にあったなにか』が、時間が経った後にほとんど忘れ去られてしまった」
という苦い経験が何度もあるからだ。
アウトプット、つまり、何かのかたちにしない限り、ひとは考えたことを忘れてしまう。
忘れ去ってしまう、消え去ってしまうということは、厳しい言い方をすれば、そのとき頭の中に何もなかったということに近い 、と僕は考えている。
逆に、アウトプットする結果、すなわち、思考にかたちを与えようともがく結果として、「頭にあったなにか」は、「他人にも伝わるもの」となるし、同時に「より質の高い思考」となる。
この二つの効用をしっかりと言語化する(忘却しないように保存する)ことこそ、このエントリーを書いた理由だ。
アウトプットすることで、思考や感情を「他人にも伝わるもの」にできる
「頭の中にあるなにか」は、かたちを与えなければ、伝わらない。
伝わること。ぼくがとても大切にしていることなのだが、これは仕事を例にとればわかりやすいかもしれない。
仕事の成果物という意味でのアウトプットは言うに及ばずだが、中間生成物的な意味でのアウトプットも、できる限り伝わるかたちに落とすべき、というのがぼくの持論だ。
日々の細かい仕事から「考えたこと」をかたちにしていれば、周りの人間に自分の考えていることをより正確に丁寧に伝えることができるだろうし、ものごともよりスムーズに前に進むだろう。
「チームのメンバーなり、お客様なり、株主なり、とにかくステイクホルダーに、考えていることを正確に伝える。そのためのアウトプット」
書くと簡単に思えるが、これが意外と難しいし、逆にこれがしっかりできるひとは、とても仕事ができるひとだと、ぼくは思う。
アウトプットすることで、思考は深まる
一方、かたちを与えて「残そうとする」過程で、ひとは思考を発展させる。つまり、アウトプットをしようとする過程で、思考は一段と深いところまで到達できる(と経験的にぼくは考えている)。
もちろん、ちょっとやそっと思考しただけではそんなに深いところまで到達できないし、自分の肉となり骨となるアウトプットとはならない。
思考を一段、二段と深いところまで導くためには、当然ながら「しっかりと考えぬく」というプロセスが欠かせない。どうしてもこの作業は疲れるから、ぼくはサボりがちになってしまうのだけれど・・・
「ちょっとしたアイデア・着想」が頭の中にせっかく芽生えたのであれば、それをしっかりと膨らませ、自分の今後にも活きるような「示唆」まで昇華させる。
そういう丁寧な作業を大切にしていきたいと、ぼく自身は常に考えている。
インプットからアウトプットへの変換を、より効率的に行いたい
ということで、アウトプットすること、とりわけ「考え抜かれた」アウトプットをすることについて、ぼくはこれをとても大切だと考えているのだが、その中でも一つ一つの経験を着実にアウトプットに変えていくというのを、今年は心掛けたい。
これは言い換えれば、「インプットからアウトプットへの変換率」を上げていく、ということだ。
ここでいうインプットとは、仕事や旅などの経験だけでなく、読書でも映画でも観劇でも、何でもいい。
とにかく自分にとって「外部からの刺激となるもの」があった時に、その刺激に対する反応(リアクション)をこぼれ落ちないようにアウトプットにしていく、そういうことをしていきたい。
アウトプットの質と量を両立したい
上に書いたことは、要は、
・ 質にこだわった、考え抜かれたアウトプットを出していくこと
・しっかりとアウトプットの量を増やしていくこと。特に、その都度その都度のインプットをすぐにアウトプットに変換すること
の二つなのだけれど、実はこの二つを両立することは、案外むずかしい。
なにか特定の分野についてアウトプットするにも、本を一冊読んだ段階でアウトプットするのと、本を五冊読んでからアウトプットするのでは、間違いなくクオリティは後者の方が高くなる。
だからと言って、ある程度のクオリティが担保できるまで読み続けよう、というスタンスを取るとすると、いつまで経ってもアウトプットができない可能性もある。
完璧を求めると、どうしても筆が止まってしまう。
一方で、ひとつひとつのインプットに対してしっかりとアウトプットを残すことは、複数のインプットが積み重なった後の最終的なアウトプットの質を(最後の最後に初めてまとめてアウトプットするよりも)高めることにつながるはずなので、質と量、両者のバランスを上手に取っていきたいと考えている。
アウトプットするときの「表現手法」を増やしていきたい
話はすこし変わるが、思考や感情を表現する「手法」についても、今年は増やせていけたら、と個人的には考えている。
「表現手法」とは、例えばその一つがこのブログだ。随筆と呼ばれるべきか、論考と呼ばれるべきかは分からないが、「文章で書く」というのは、ぼくが今もっている一つの思考や感情の「表現手法」である。
ぼくが今もっている「表現手法」は、こうした文章(ワード)と、プレゼンテーション資料(パワーポイント)と、計数表現(エクセル)しかない。
もともと大学時代には文章という「表現手法」しか持っていなかったので、パワーポイントとエクセルという「表現手法」をしっかりと鍛えてくれた前の職場(コンサルティング会社)には、ぼくはとても感謝している。
文章にしても、こうした固い文章だけではなく、もしかしたら小説かもしれないし、短歌や俳句かもしれないが、他にも「表現手法」は山ほどある。
(実は、昨年は某所で小説形式でのアウトプットにトライしていたのだが、途中で挫折しているところだ・・・)
さらに言えば、「表現」は文章だけに限られない。写真、映像、絵画、音楽・・・さまざまなスタイルが存在する。たしかに最初に「言語化」と呼んだものの、これは非言語の「表現手法」を排除するものではない。
なにを学ぶか具体的に決めた訳ではないが、今年はなにかしらに新しく取り組めたらと思っている。
ということで
ということで、2017年最初の仕事以外での「アウトプット」となりましたが、本年もみなさまどうぞよろしくお願いいたします。
注)表紙画像はフェルメールの『絵画芸術』です。「やっぱりアウトプットとして優れているのは絵画でしょ!」というのがフェルメールのメッセージだと聞いたことがありますが、絵の中にさまざまな「アウトプット」の方法が並んでいることから、本エントリーの表紙にしてみました(笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?