民主主義という正義か、経済の安定か~混乱のウガンダ大統領選を通じ考えたこと~

ウガンダの大統領選挙で、現職のムセベニ大統領が再選を果たした。彼は1986年の就任以来30年間この国の最高権力者として君臨してきた訳だが、今回の選挙の結果、更に5年、その期間が延長したことになる。

Uganda's President Yoweri Museveni wins fifth term (BBC News)

今回の選挙中に世論の操作から実際の得票数の操作まで、どの程度の不正があったかは、正直分からない。しかし、選挙直前~投票期間の1週間弱の間に、大統領選の最大の対抗馬であるベシジェ氏が警察に四度も逮捕されるなど、今回の選挙は「民主的なプロセス」とは程遠かったのではないか、というのが正直な印象である。「透明性が高かった」とはお世辞にも言えない、非常に残念な選挙(プロセス)だった。

とは言え、個人的な感情の話を正直にすれば、今回の選挙結果については、その不透明な選挙プロセスを非常に残念に思った一方で、その結果に対しては安堵の気持ちをも覚えた、というのが事実である。それは、ムセベニ政権が続くのであれば今のウガンダの政治体制が大きく変更されることはないだろう、という安堵感である。

これには、僕の会社がウガンダを含む東アフリカ四か国で事業を展開していることが大きく関係している。現地に根差したオペレーションをしている僕の会社には、これまでに積み上げてきた様々な政府関係機関、政府関係者とのコネクションがある。保健医療セクターという特徴もあるが、政府、財務省、保健省などとの継続的な対話・折衝は、円滑な事業運営に欠かせない。

こういう国で政権交代があれば、このようなこれまでの「積み上げ」は当然失われ、またゼロからやり直しということになる。その労力を考えると、穏便に、政権が交代することなく従来の路線が継続して欲しい、とどうしても考えてしまうのだ。

しかし実は、僕自身が今回最も気になったのは、残念な気持ちと安堵の気持ちが入り混じった自分の感情だった。それは、そこに過去の(大学時代の)自分と今の自分の考え方の変化が見て取れるからだ。

そもそも、政治哲学や政治学を主に学んでいた大学時代の僕には、近い将来の自分が、こうした不公正な政治プロセスを目の当たりにしてこのような二律背反な気持ちの間で揺れるようになるなんて、きっと全然想像できなかっただろう、と思う。それだけ、政治的正義は、当時の僕が一番大切にしていた価値観だった。

けれど、良くも悪くも、今は違う。今の僕は、政治的な不正義と自分自身(自社)の経済的な利益を天秤にかけているのだ。

今の僕を大学時代の僕が見たらどんな風に思うのだろう。そんなことを考えさせられたウガンダの選挙だった。

補足1)今回の政治的に不公正な(と思われる)選挙プロセスに目をつぶった方が騒乱は避けられ、経済的、社会的な効用は大きい、という立論も当然あり得る。ウガンダという国が、政治的に公正なプロセスでモノゴトを動かせば、全てが丸く収まる、というような作りではないことは重々承知しているつもりだ。

補足2)「民主的な」「選挙」による「政権交代」という、「西洋的な」プロセスだけが正解でもない、ということは分かっているつもりだ。一筋縄では西洋的民主主義が定着しないアフリカの国を見ていると、”Democracy is the worst form of government, except for all the others.”というウィンストン・チャーチルの言葉が常に思い出される。

補足3)それにしても、ムセベニの「西洋的な民主主義」の軽視も、それはそれで行き過ぎのように思う。あるケニア人医師が「ムセベニは元々軍事力で政権を奪った人間。自分が軍事力で政権を奪われるというやり方以外で、権力を渡すことは頭の中に無いだろう。民主主義というコンセプトをそもそも理解していないと思う。」と言っていたが、確かにそうかもなあ、と思った。例えば、今回の大統領選に先立って、候補者討論会が二度催されたのだが、ムセベニは第一回を欠席しており、その際に「大統領候補者による討論会はアメリカ等の外国のコンセプトであり、あまり重要なものではない。」とコメントしている。

追記:友人が「財界が保守的である/保守化するというのは、こういうところに端緒があるのでは」とコメントをくれたが、まさに指摘の通りだと思う。個人の経験としては上記に書いた通りだが、こういう人たちが集まって財界を形成すると、その姿勢が「保守的」と呼ばれるのだろう。

じょごな

Twitter: @ymfc_66


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