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9.11

(少しツイートしようと思ったら長くなったのでnoteで…)

20年前は高校2年生。クラブユースで週6日、文字通りサッカー漬けだった。エモい(笑)。

高2の夏はわりと調子が良く、遠征などでは点もたくさん取っていた。けれど、

「さすがに自分の実力ではプロにはなれない」

という現実に気付き始めたのが夏休み明け。

それこそ、

「これ、大学はサッカー推薦じゃなくて、やっぱ受験することになるかなあ。大学行くなら何を勉強しようかな。ていうか、そもそも将来は何になろうかな」

と考えていた時期だったと思う。

当時、9.11の映像は正直どこか遠くのことで、他人事のように感じていた。サッカー以外のことをほとんど考えたことがなかったからかもしれない。

その後、アフガン戦争が始まった流れもなんとなく追っていたけれど、最後までリアルな感覚は持てなかった。

ただ、一連の”文明の衝突”はきっとぼくに影響を与えていたと今は考えている。

高3になってから、

「国際関係論を勉強しよう。外交官になるか、もしくは国際機関で働きたいな」

と、なんとなく方向性を決めて勉強を始めた。

「世界の”分断”って、どう乗り越えればいいんだろう」

みたいなことを、当時かなり無邪気に考えていたんじゃないかな、多分。

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ぼくの大学時代は「分断」に対する関心を培った時代だった。

分断を、その背景にある格差や不条理も含めて、いろいろな形で学び、より関心を深めたり、幅を広げたりした、大切な時間だったと思う。

なんとなくいま頭に思い浮かぶのは、和歌山県にある限界集落、フィリピンの少数民族の村、富裕層の住宅街とスラム街が背中を合わせる東アフリカ随一の大都市ナイロビなど。

そして、結果としていまの仕事につながっている障害者施設のボランティア(それは、ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』で描く「分断=隔離」を間近に見る経験だった)。

「西欧とイスラム」という分断に焦点があった訳ではなかったが、それでも様々な形で社会に横たわっている「分断」を、それぞれ少しだけ覗いてみることができた。

こうした経験を通じ、社会のリアリティを少しずつ理解するようになっていった。自分にとって大学時代はそんな時期だったなと思う。

国際関係論分科には進学したものの、いつの間にか外交官になろうとは思わなくなっていた。また、たまたま経験した国際機関のインターンを経て国連への興味も失ったが、根底にある何かが大きく変わったわけではなかった。

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大学卒業後すぐに就職したコンサルティング業界を卒業したあとは、やっぱり「分断」に対する自分なりの関わり方を見つけたかった。

それが、アフリカで公衆衛生の仕事であったり、いまのメンタルヘルスの分野での仕事だったりする。ここは説明すると長くなるのでまた今度(笑)

いずれにせよ9.11は、決定的な影響を受けたわけではないけれど、それでも通奏低音として、今でも影響を受け続けている、国際的な事件。

自分にとって9.11はそんな出来事だったのかなと思っている。

昨今、文明vs文明という単位ではなく、文明の「内側」でも分断が進んでいると言われるようになった。

こんな時代に自分はなにができるのかな、なにをしていくべきなのかな、なんてことをこの節目の日に考えてしまった。

まあ、ぼくは自分のできることを、ゴールを共有できる人たちと一緒になって、ひとつひとつ地道にやっていくしかないのだけれど。

ということで、今日はこのへんで。おしまい。

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