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3月22日

花粉症だから目が赤い。くしゃみがとまらなくて、喉が痒くて目も痒くて、たまらん!って擦ったら真っ赤になって、終いには咳も出て、最低最悪状態になる頃に、桜が咲く。体調悪化で春を知る、毎年こんな感じ。
大学一年生の時に花粉症になって、「花粉症だから鼻声でごめん」っていつもティッシュを持っていた友人がめちゃくちゃすごい人に見えた。みんな平然と花粉症と生きていて、すごい。何故? 花粉症、想像の5億倍つらいのに。花粉全然許せない。木切りたい。ブタクサって名前、なんか……なんか、だし。花粉症+コンタクト生活だから、やけに目薬差すのが上手くなった。前を向きながら差せる。この差し方が一番かっこいいと思っているけれど、よく怖がられる。というか、目薬をさす、「差す」で合っている、よね。
お酒を飲むと花粉症が悪化するのは知っていて、でも飲みたいお酒があるから仕方ないよね。これに関しては花粉症も私も悪い。きみも私も、両者とも非を認めようね。

花粉症だから目が赤い。し、膝を強打したからあざができている。理由がわかる不調は安心する。原因不明のあざが怖い。痛いといいな、って押してみて、治るまで毎日観察してしまう。おはじきを飲み込んだ時、お腹が破裂するんだと思ったし、スイカのタネを飲み込んだ時、お腹が破裂するんだと思ったし、ガムを飲み込んだ時、お腹が破裂するんだと思った。だから必死に吐き出した。スイカの種さえ駄目だった。さくらんぼはなんでか平気だった。育っても、ちいさいからお腹は破裂しない。そう思った。指に刺さって取れない棘は、心臓に届くと信じていた。本気だった。「届くわけないじゃん」と言われても、きっと届く、明日には届くよって毎晩怖かった。
左手の中指に、鉛筆の芯がずっと刺さっている。一箇所だけ黒いその部分を、私は今もよくなぞる。十年以上ここにある。もう全然痛くはない。全然痛くないけれど、ここにあるの。
棘はいつか心臓に刺さる。
子どもの頃は確かに真実だったはずなのに、その言葉に怯える人は誰もいなくて、私は鉛筆の芯が刺さったくらいでは泣かなくなった。でもたまに想像することがある。黒子みたいなこの小さな色が、心臓に届くこと。芯が身体の中を巡って、いつか。でも今日も芯はここにある。
し、スイカの種は、今もまだ飲み込むのが怖い。

身体にまつわる言葉ですが、「頸骨は飴玉に似ている」という表現が一番好きです。

今は目が真っ赤だけれど、私の目は青い。高校生の頃、先生に言われた。生徒のことをお嬢さんって呼ぶ、フィクションみたいな先生だった。先生に言われるまで気づかなかった。それからずっと、私は自分の目が青いことを知って生きていて、目が青い私のことがそれなりに好き。だから先生ありがとう。

と、こうして日記を書いているうちに目の赤みがなんとか引いて、いつもの私の目になった。現在最低最悪花粉状態なので、もうすぐ桜が綺麗に咲いて、でもさくらんぼが美味しいのは6月頃で、私はきっとさくらんぼの種をそのまま飲み込む。お腹の中、さくらんぼが育つ頃にはきっと秋です。

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