『バベットの晩餐会』を久しぶりに観た。

2024年の映画館はじめに、
「午前十時の映画祭」で『バベットの晩餐会』を観た。
最初に観たのはいつだっけ。十代後半くらいか。
ビデオ借りて観た時もあるし、
テレビで流れているのをたまたま観た時もある。
友達のお姉ちゃんの「一番好きな映画」だった。
別の友達のお兄ちゃんの「人生観が変わった映画」は、
『ゴースト/ニューヨークの幻』だったな。
いずれにしても、映画館で観たのは今回が初めてかもしれない。
記憶があっていれば。

『バベットの晩餐会』、やっぱりよかった。
なんという体験。なんという味。
スクリーンで観ると、海が実際に目の前にあるみたい。
人の顔のアップにも圧倒された。
将軍さんってこんなにかっこよかったっけ。
まゆげの一本一本、頬の血色、瞳の奥の色まで、キラキラ輝いている。
あと空の色がとてもさびしい。
波も荒い。風も強い。地面の色、壁の色。
干したカレイの身の質感とか。白い息とか。
育った町を思い出した。
自分の細胞が年を取って枯れて来たせいだろうか。
画面全体の色合いがやけに沁みた。

映画の後半、ここにいる人たちはみんなお年寄りで、死に向かっていってるんだな、と気づく。
とても自然に、でも少しだけ覚悟しながら生きている。
そんなふうに見えた。
信仰があるっていいな。
なかよしっていいな。
「ハレルヤ」しか言わないおじいさん、久しぶりに見たらすごく背が高い。
ローレンスの伯母さんは、
晩餐会時にはもう90歳超えなんじゃないかというけっこうなお年寄りで、
歩くのもみんなに支えられてやっとだ。
昔観たときには気にも留めなかったが、この人もいい仕事してる。
初登場シーンからほとんどしゃべらずちょっと怖いくらいで、
どんな人なのか最後までよくわからないのに、
おいしいものを食べるとき、
本当にうれしそうな表情をする。
赤子のような!

単純におもしろい映画、という印象もある。
人に動きがあって、見るべきものがいっぱいあって、
最後まで退屈しない、目が離せない。
机の引き出しにむきだしのパンがごろごろ入っていたり、
19世紀後半のデンマークの小さな村の食料品店の様子とか、
バベットが料理を作る時の手つきや体の動き、
台所に宿る火のあたたかさ、
冷蔵庫代わりに持ち込まれた大きな氷とか。
だけど今回、おもしろい中に、けっこう切ないものがあって涙が出た。

「芸術家の心には、自分に最善をつくさせてほしい、その機会を与えてほしいという、世界じゅうに向けて出される長い悲願の叫びがあるのだと」(『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン桝田啓介訳ちくま文庫)

バベットは金輪際もう思う存分料理の腕をふるうことがないみたいな感じなんだが、
え、次天国なの?って、
残酷で残念なことのような気がして、
まだ受け入れ切れていない。
うまく生きたい、すべては生きているうちでなければ意味がない、って、
どこかでわたしも思っているんだろう。
「天国」って言葉が出たとたん、
バベットとフィリパは満たされたように微笑みあって抱き合う。

レベルが高い。
なんのレベルだかわからないけど、
そしてあまりいい言い方ではないのかもだけど、
みんなレベルが高いと思った。

運命とは、もっともふさわしい場所へとあなたの魂を運ぶのだ、
とは、シェイクスピアの言葉だけど、
ここがバベットの「場所」だったんだろう。
運命に対して、ケチで往生際が悪いと、
苦しく重たくなるのかもしれない、人生。

それにしてもアシール・パパンのレッスン。
愛全開で声高らかにのびのびと本領で歌いあげる。
人んちで遠慮なく魂を解き放つ。
こたえて歌うフィリパの表情は、見ていると次第に切なくなってくるのだが。
全身全霊で愛するよろこびを歌う彼は本物の歌手だ。
あれがもし、どこか計算して、加減して、
少しでもこそこそ歌うようだったら、偽物で、
映画もそこで万事休す。
とにかくなんていうか、出てくる人がみんな本物。
本物から本物へ、エンディングに向かって、
バトンが手渡されていく。
本物ってのは別に立派な人だとか、
なにかのプロだとかいう意味じゃない。
その人がその人であるというか、
一人を全うしてるというか。
他者への敬意とか親愛の念はそこから生まれてる気がする。
もちろん彼らに信仰があることは大きい。

バベットがこの閉じられた質素な村に、
ぜいたくなフランス料理の材料を持ち込んだこと、
それを、いろいろ不安はあるけど最後はバベットの真心と汲み、
そこだけはぶれずに筋を通す、
マーチーネとフィリパの姉妹の優しさ。
得体の知れない食材に怯える村人たちの目をものともせず、
ウズラの鳴き声とともに台車の列の先頭を、
風を切って堂々と歩いていくバベットは、
大きな決心と目的を前に、やはり全くぶれない。
全員かっけえ…!

ローレンス将軍なんか、若い時の自分と文字通り対峙するけど、
おとぎ話のようで、いいシーンだと思う。
孤独で、どこまでも内側に向かってて、
晩餐会でみんなに向けて語られる言葉も、
ときどき本人にしか意味が分からないぐらいだが、
それがまた心地よいのだ。
だれもつっこまないしのってこないし、
バベットの晩餐に出てくる料理みたいに、
すーっとただその場を満たして、
なにも残さず、
みんなの心の中に消えていく。
誰との間にも垣根がない感じ。
こういうのを魅力というのかもしれない。

バベットに宝くじを当てたのは神様だろうか。
映画の最後の最後で、窓辺のろうそくの火をそっと消したのは神様だろうか。
いや、そういうかわいいことするのは天使かも。

「天使も、うっとりするわ。」 

というセリフでこの映画は終わるし。
黒幕は天使っぽい。
全編にわたり、いたずらっぽく、
空気に紛れてその辺を浮遊している音楽も、
天使っぽい。

クライマックスでお腹が鳴るだけでなく、
目から水が出ているのが恥ずかしく、
明るくなった瞬間急いで席を立った。
十数人いた観客たちは立ち上がる気配が全然ない。
劇場を出たら、うしろから歩いてきた年配の女性が、
もう一回観たい!あなたも観ればよかったのに!
と外で待っていた夫らしき人に言っていた。
ほんとそう。

家に帰り台所に立ったら、
なんで自分はこんな便利なものに囲まれながら、
日々イライラしているのだろうと、
そして一体なにに遠慮して、なにに怯えているんだろうと、
ちょっと呆然としてしまった。

今年は(唐突)、

「貧しい芸術家はいません。」

と言ったときのバベットのように胸を張りたい。

なにはともあれ。
もう亡くなった親戚のおばあちゃんが編んでくれたセーターを着ているみたいだ。
というか、今着ている。
本当に魔法みたいにあたたかい。
心が疲れたり、乱れたりしたら、
何度でも思い出し、観れるときは大画面で観たい。
そんな一本。










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