「東大合格」は「すごい」のか?

 今回は、「東大合格」は「すごい」のかという問いから、合格の「すごさ」と合格の「難しさ」の関係について考える。

 ここでいう「すごさ」とは、人からどう思われるかのような、社会的な評価の高さを指す。また、合格の「難しさ」とは、その学校の偏差値の高さを指す。

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 そもそも、「東大合格」は「すごい」のだろうか。「すごい」とすれば、なぜ「すごい」と言えるのだろうか。

 これらの問いには、次のような答えがある。

「東大の偏差値は非常に高く、合格には相当な努力や才能が必要だから、東大合格はすごいと言える。」

 つまり、合格の「すごさ」は合格の「難しさ」とする答えである。これは、合格への社会的な評価の高さは、その学校の偏差値の高さであると言い換えれられる。

 しかし、この答えは必ずしも正しくない。

 なぜなら、合格の「難しさ」だけでなく、学校の知名度やイメージなども合格者の「すごさ」、つまり社会的な評価に関係するからである。

 簡単な例で考えてみる。

 仮に、東大よりも偏差値の高い「天才大学」という大学が新たに作られるとする。天才大学では、東大と同じような入学試験を行い、東大よりも偏差値の高い生徒しか入学できないように合格点を定めている。

 では、天才大学に合格することは、「東大合格」よりも「すごい」と言えるだろうか。

 当然のことながら、偏差値だけを見れば天才大学に合格する方が「すごい」と言える。しかし、「東大合格」の方が「すごい」と答える人も少なくないのではないだろうか。

 これは、偏差値では東大にまさる天才大学が、知名度やイメージでは東大に劣るためと思われる。

 このことは、偏差値とは必ずしも関係のない学校の「ブランド」により合格の「すごさ」が決まることや、その「すごさ」がその学校の卒業後も就職活動などで影響力をもつことからもわかる。

 もちろん、学校に知名度や良いイメージがあるからこそ入学希望者が多くなり、結果として合格の「難しさ」が高くなると考えることもできる。

 あるいは、知名度や良いイメージがある学校では高度な教育が受けられるからこそ、合格の「すごさ」が高くなると考えることもできる。

 いずれにしろ、合格の「すごさ」に関しては、学校の知名度やイメージなども影響すると言える。

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 ところで、合格の「すごさ」にも関係する学校の知名度やイメージとは具体的に何だろうか。学校の伝統、教員の質、様々な施設など様々考えられるが、重要なのは過去の合格者の活躍や貢献であると思われる。

 例えば、東大における知名度やイメージとはおそらく、東大出身の政治家や学者、ノーベル賞受賞者の多さや重要な研究の蓄積であり、だからこそ東大には偏差値を超えた「すごさ」があると言える。

 そして、これらはすべて在学生や卒業生といった過去の合格者によるものであることから、学校の知名度やイメージで重要なのは過去の合格者の活躍や貢献であると思われる。

 このように考えると、合格の「すごさ」はその合格者のみに向けられているわけではなく、過去の合格者にも向けられているということに気づく。

 つまり、合格が「すごい」のは合格が「難しい」からだけではなく、その学校の過去の合格者、つまり在学生や卒業生が活躍したり貢献したりした結果、学校の知名度やイメージが良くなったからに他ならない。

 大学では、在学生や卒業生が研究を発展させたり、社会で活躍・貢献したりすることが学校の知名度やイメージにとって重要となる。

 小学校から高校では、生徒が真面目に学校生活を送ることや偏差値の高い学校に進学することが学校の知名度やイメージにとって重要となる。

 これらのことに対しては、現在や未来の合格者ではなく過去の合格者(在学生や卒業生)のみが問題となる。そのため、合格の「すごさ」の一部は過去の合格者にも向けられていると言える。

 ここまでをまとめると、次のようになる。

  • 合格の「すごさ」には、学校の偏差値の高さである合格の「難しさ」の他に、学校の知名度やイメージも関係する。

  • 学校の知名度やイメージで重要なのは、過去の合格者(在学生や卒業生)の活躍や貢献である。

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 今回は、「東大合格」は「すごい」のかという問いから、合格の「すごさ」と合格の「難しさ」の関係について考えた。

 まとめでは、合格者の「すごさ」にはその合格者以外の「すごさ」も関係しているとしたため、「東大合格」は「すごい」わけではないと述べているようにも見える。

 しかし、多くの人の実感の通り「東大合格」は「すごい」。

 それは、仮に東大の知名度やイメージが関係しているとしても、「東大合格」の「難しさ」は文句なく高いと言えるためである。

 また、東大合格者がみな政治家やノーベル賞受賞者にならなくとも、研究や社会において何らかの活躍や貢献はしているだろうし、その東大で学ぶ機会をつかむことはそれだけで「すごい」と言えるのではないだろうか。

 繰り返しになるが、注意すべきは、合格の「すごさ」がその合格者のみにあるわけではないということである。

 東大、短大、専門学校、進学校、中学校、小学校、私立学校、公立学校いずれにしても、合格の「すごさ」の一部は、過去の合格者のような合格後の活躍や貢献を期待して合格者に向けられるものである。

 そのため、合格の「難しさ」のみが合格の「すごさ」と誤解して、うぬぼれたり他者を見下したりすることは間違いである。

 もちろん、自分を肯定し自信をつける上で合格の「すごさ」を実感したり、学校の偏差値や知名度、イメージに関わらず親しい人が合格の「すごさ」を認めたりすることには何の問題もないだろう。

 むしろ、そのようにして合格の「すごさ」を実感できるならば、合格後も期待通りかそれ以上の活躍や貢献ができるのではないだろうか。

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