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フジロックが終わって、開催できて良かったと思う理由



まず、今年のフジロック、開催できて本当に良かったと思う。

僕は「フジロックに関しては開催すべき」と思ってお客さんとして参加してきましたが、

関わるいろいろなスタッフ、関係者の顔を見て、話をして、実際に現場で起こっていることを見て、

やはりその考えに変わりはなかったのでこの文章を書いています。



人は皆、自分とその周辺や知っていることや知り合いに関しては

寛容になれますが、知らない人たちや見えない人たちに関しては

想像することが難しく、持っている情報次第でときに残酷になれるものなので、

いろいろな意見があって、ある程度分断されてしまうのは仕方がないと思ってはいるのですが、

それにしても

今回のこの数日間のwebメディアやSNSでの今回のフジロックの開催についての報道や

書き込みなんかを見ているとかなり偏った意見と情報がとても目につくので、

いろいろな立場や考えがあることを少しでも多くの人に知ってもらえればと思って書いています。

納得できるかは置いておいて。


僕は僕で10代の時にフジロックに感化されて今、フェスやライブの仕事をしていますので、

少なからず偏りはあるんだと思います。

でも、知らないことで起こる悲しみや怒りが少しでも緩和されると良いなと思います。

何故だか「オリンピック開催したんだからフジロックもやらせろ」みたいな言葉だけの子供じみた考えの話かと

浅いところで勘違いしてしまっている人たちが多くいるように思うからです。



まず、

この1年半くらい、エンタテインメント業界は自粛やガイドライン運営のなかで

かなり無理をしてきています。

保障は全くといっていいほどないです。

助成金はかなり大変な申請作業の末、「対象科目の何割か」しかも「半年以上の後払い」です。

もちろん申請が通らない場合もあります。


僕は飲食業界で働いたことがないので、ここでは自分の経験や自分の認識の事実を語ることができる

エンタテインメント業界やフェスの話を中心にします。

まず、かなり浅いところで誤解されているのですが、フェスを自粛することは

単に「楽しい遊びを我慢しなさい、って話」だけではありません。

「そこで働くひとたちの仕事と収入を奪うこと」になります。

そこにも生活と命と営みがあることを知らない人、無視している人があまり多すぎるのでないかと思うのです。

その数はたぶん、フェスの開催を反対する人たちの想像を大きく超えていると思います。

それぞれの開催地にもたくさんいるんです、フェスがないと困ってしまう人たちが。


フジロックを開催する人も参加する人も、きっと「コロナ関連で亡くなってしまう人は一人でも少ない方が良いに決まっている。」と

考えているはずです。

でも、だからといって「経済制裁に近いこの措置で仕事と生活を失ったり、仲間や家族が守れなくなったり、これが原因で死に至る人がいても良い、自分たちは飢えて死んでもしょうがない。」

とも思っていないです。

両方大事だと思うから1年半もこんな状況に耐えて開催できる方法を必死に模索しているんです。


エンタテインメント業界はこの一年半、かなり真面目に自粛やガイドラインに沿った運営をしてきました。

そのガイドラインもそれぞれの自己都合ではなく、政府と業界団体で協議をして決めたものです。

ですが今もって感染者数は増えています。


つまり、

ここが大事だと思うんですが、というか普通に考えばわかることだと思うんですが、

「エンタテインメント業界の自粛や飲食の時間規制などの頑張りだけでは施策として足りていないから感染者数が伸びている」わけですよね?

つまり「他の原因が大きいので、他の施策もしないと足りない」んです。


なのにもかかわらず、1年半も一部の業界にだけ「不要不急」として経済的、精神的、肉体的な負担をかけ続けている。

これ、あまりに無策で理不尽すぎませんか?

要するに「あの業界の人たちにまた自粛してもらいましょうよ。」という偏見と職業差別による「ポーズ」なんですよ、もはや。

だって自粛させておいて、「感染者を減らすという結果」出てないのに原因を探すこともせず、同じことを繰り返すんですもの。


ちなみに、この1年半、

フェスやコンサートではクラスターほぼ、起きていないです。

(検査を徹底するので、もちろん多少の感染者は出ます。多くが事前に判明して会場入りを断るケースです。)


比較的感染者対策に成功していて、決定的な原因になっていないことがわかっているものを

諸悪の根源かなにかと勘違いしてやめさせようとしている、それを煽っている、非常に不毛な行為なんです。

政府もフジロック反対派も「医療が切迫しているから感染者を減らしたい」はあくまでもポーズとノリなのか?

僕は非常に不真面目な態度とまで思ってしまいます。

本当の原因に蓋をして目を背けている態度に見えるからです。

だから「自分たちはこのフェスを20年以上、地元、アーティスト、お客さんと信頼を築いてつくってきたものだし、

生活もかかっている人もたくさんいるので、ノリの要請なら2回目は協力できないよ。ちゃんとやってくれ。」と

僕なら思っちゃいます。(僕はただの客ですが。)


やるべきことは、「不要不急」と認定する行為やモノ、業界を広げるべきなのです、

極論ですが、ガス、水道、電気、医療、食、流通、以外は概ね不要不急ですよ。 敢えての暴論ですが。

でも、そこから考え直してみたら見えることもあるでしょう。

今の世の中、ほとんどのものが贅沢品や嗜好品ですよ、本当の緊急事態においては。

そのうえで、

「この1年半の緊急事態宣言の施策に何度も失敗して申し訳ございません。

これからは「不要不急」の該当事業者を拡大して感染者数が○○人/日になるまで抑え込みたいので、

エンタテインメント業界にも引き続き自粛要請させて欲しい、今度は政府が保障もします。」が筋でしょうが、

と僕は思います。

つまり、どれくらい緊急事態だと思っているの?ということなんです。

本気で緊急事態と思っているのならば、感染者数を減らしたいと思うのなら、

やらなければならないこと、向けなければいけない矛先、盛り上げるべき世論は違うところにあるでしょうに。

自分たちの生活スタンスは確保しておいて、大した原因になり得ないことがわかっているフジロックいじめてる喜んでいる暇があったら

やる事あるはずなんです、たくさん。


繰り返しますが、この1年半、

フェスやコンサートではクラスターほぼ、起きていないです。

ですが、オリンピックはたかだか2,3週間の無観客開催で

知られているだけで内部で結構な感染者出ましたよね?

ちなみに都内の特設会場や本屋なんかでのオリンピックグッズコーナー見たことありますか?

僕は閉幕後に2か所ほど目にしましたが、商品がすべてそのまま陳列されていてみんなベタベタ触りたい放題、

売り場も会計列も超密でした。もしもフェス会場でこんなグッズ販売方法を提案したらクビですよ。

完全にフェスのステージ最前列の3~5倍くらいは密ですね。しかも屋内で消毒もなしに同じものを沢山の人が触っている。

何日間あの売り場やってたんですかね?

「オリンピックは無観客なんだから、フジロックも無観客にすべき。」

本当にそうでしょうか?知って欲しいのです。対策の努力レベルが全然違います。


本当に止めるべきは何なのか。

本当に緊急事態ならば電車だって止めるのが良いと思います。あれが一番ヤバいですよ。どう見ても。

改札前で何の検査も対策もなければ、車内消毒もない。

実際、走行中の電車内で全員直立不動でつり革や手すりにもどこにも触れずは無理でしょう?

新宿駅関係のたった1日だけでもおそらく年間の国内の全フェス動員を超えちゃうと思いますよ。(たぶん。)

歩く、自転車を買う、自家用車に乗る、で移動できる範囲で仕事をしたらいいですよ。

または全部の電車が1駅1000円。緊急性の高い仕事は申請で払い戻し。

本当に緊急事態だと思うならば。(この部分は暴論ですよ。)


「電車を止めるのは現実的ではない。」「保障のための国債も発行できない」のだとしたらきっとその程度の緊急事態なのでしょう。

でもそこに真剣に向き合わないうちは感染者数は増えるので、どう向き合うかですね。

(感染者数を減らすのが命題なのであればですよ。)


ちなみに無知なので、気になるのが、

この1年半、政府と医療機関(の現場でなく偉い人たち)はなにをしてきたのかが凄く気になります。

他の国みたいにすぐに大量に病床を増やすことは出来なかったのでしょうか?

国力や技術の問題なんですかね?1年半という期間、緊急事態としての国債とかもで無理な理由があったんですかね?

感染者数の予想は素人にでもできますからね。

まさかオリンピック優先したわけではないですよね?自分にとっては無知な領域なので、疑問だけ残します。



戻りますが、

フジロックの開催は本当に良かったけど、

ただ、アーティストの葛藤の伝わるMCが観ていてつらかったなと。

言うべき言葉に折り合いがつかないでしょう。

僕もそうですが、

人が人生かけてやってきたことに対して、生活の糧に対して「不要不急」って、随分と軽々しく言ってくれるなと。

応援してくれる大切なファンやお客さんに対しても。

自分の言っていることわかっているのかな?と思う。

たしかに災害時などで一時的に順番が後になることなのはわかるのですが、1年半以上やってきてこの経過と結果を見ても

そうなの?考え方と方向が違うのでは、と思うんです。

「1年半も音楽が不要不急になる政治と社会と世論ってどうなのよ?」と考えるのはおかしなことですかね?


3.11の震災後にたくさんの支援活動や、発表されていないけど多額の寄付をしたアーティストたくさんいますよ。

そういうことを忘れないで欲しいし、

楽曲やその歌詞に支えられたり励まされたことがあるのならば。その心はどこにいったんでしょうか?

そのことも「不要不急」という言葉と共に思い出して欲しいのです。


この辺り、攻撃ではなくいろいろな立場や意見があることを知ってもらいたいという目的なので、この辺にします。



ちょっとフジロックからずれまくってしまいましたが、

何故「フジロックに関しては開催すべき」と思うか、書きます。



簡単に言うと、

大袈裟な話ではなく、フジロックは勝手に第三者から思われていることも含め、

先駆者としての文化的な意義や意思とフェスの未来が託される存在だからです。


日本には過去にオールナイト野外ライブなどフェス的なものはありましたが、大雑把にいうと

国内アーティストだけのワンステージで単発開催する特別なものが主でした。

毎年開催され、いくつものステージがあって海外アーティストもたくさんくる大きな野外フェスをつくったのが

1997年にはじまったフジロックなのです。

おそらく、「フェスってなんですか?」という多くの日本人たちに

「ウッドストックってご存知ですか?」とか「吉田拓郎さんのつま恋は知ってますか?」みたいな

話をしながら、これからやりたい得体の知れない催事の説明をしたのではないか?と想像されます。


今やちょっとしたイベントをすぐに「○○フェス」とか名付けてしまうので、

気になって調べたらがっかりすることもあるくらいキャッチーな言葉になった「フェス」ですが、

今の20代の方は知らないかもしれませんが、「フェス」って言葉、認知されてなかったんですよ、20数年前の最初は。

「フェス?フェスティバルのことなんですね。え!朝から?お客さんはこのステージを全部観るんですか?大変ですね。」みたいな。


僕も今や仕事柄、アーティストやマネジメント、メディアや、行政の人にも

「フェスを開催したいのですが、相談にのってくれませんか?」という類の相談を沢山受けるのですが、

それくらいフェスがキャッチーに「できるかもしれない」「自分たちもやりたい」と考えられるものになったのは

当時から考えれば凄いことで、日本におけるその全ての出発点がフジロックだと思うんです。


多くのアーティストがビートルズの影響を受けたように、その影響を受けた人の更に影響を受けた人が更にアーティストになったりするのと

同じように、フジロックの影響でその後の日本を代表する大型フェスが立ち上がり、その影響で小さなフェスができ、今、日本にこれだけのフェスがあるし、フェスが開催できるのです。「ああ、フェスですね。」で通じますから、今は。

フジロックの功績です。間違いなく。


ところが、97年、ただの高校生だった自分から見ても、驚きをもって開催されたフジロックのはじまりは散々なものだったように映りました。

「危険なイベント」「悪い人達が集まるに違いない」「街の安全は守られるのか」そして台風直撃。

「まるで地獄絵図、こんなものを開催してどうするつもりだったんだ。人が死ぬぞ。」みたいに書かれていました。

高校生の自分が一人で行くなんて親に説明できるものではなかったんです。事実、行けなかったです。

2年目は安全に成功させるためにという説明で、唯一、東京で開催されました。98年、豊洲。今の豊洲市場のところですよ。

奇跡が起こって、僕は豊洲に住んでいましたので家から歩いて行きました。大学一年生でした。ここで僕のその後の人生が決まりました。


思い出すと、今みたいにTシャツ、首にタオルや手ぬぐい、レギンスや短パン、アウトドアシューズ、ゴアテックスのカッパをすぐ出す、

みたいなスタイルが確立されるのはもっと先のことで、

当時会場には本物のギターウルフの人かな?みたいな格好のお兄ちゃん、制服のままの学生、普段何している人なの?みたいなヒッピー、

スーツで来ちゃった人、バンドT姿の音楽マニアっぽいおじさん、やたら軽装なお姉さん、見たことない数の外国人、が混在していて

カオスでした。凄いところに来てしまった、ここ外国?という感じです。

それにアウトドアとフェスが合体するイメージは当時はまだ持てませんでした。

雨が降ってきたら、ほぼみんな500円のビニールカッパかそのままビショビショかの二択でしたから。


そんな風景を思い出すだけでも、地域や関係者、お客さんも見たこともないものを想像してもらい、

納得してもらい、信じてもらい、実現する、何もなかった時代のフジロックの立ち上がりは想像を絶するなと。

そのさらに翌年にいよいよ苗場に落ち着き、そこからの20年以上もほぼ通っていますが

ブッキングも世界観も、お客さんに求めるスタンスも、先駆者のままあり続けるフジロックの姿勢には本当にリスペクトしています。


僕もフェスを主催したり、制作をする立場になり、わかるのですが、

全てのフェスが多かれ少なかれ人に迷惑をかけながら、理解してもらいながら、協力してもらいながら成立しています。

やはり近隣にも、許可をとらなければいけない相手にも、立場上、価値観的にも永遠に利害があわない人たちもいるわけで、

そういう方々との折り合いのつけ方も更新しながらゆっくりとつくっているんです。

なので、「やめてくれ」「迷惑だ」みたいなことはフェス制作者にとって、とりわけパイオニアのフジロックにとっては

専売特許みたいなものですね。

「それと今回のことは違うでしょう。何を言っているんだ。」と思われる方もたくさんいると思います。

でも、こんなときだからこそ、フジロックはどうするのだろうかと注目が集まりますし、その後のフェスの命運にも関わることから、

前述で述べた気持ちとしては僕は開催して欲しい派、開催してくれて良かった派です。

だからといって、それぞれ土地によって経緯や関係性、順序、歴史などが違うので、他の全てのフェスがやるべきだった、とは思っていません。

それぞれ適切な判断だったと思います。


そのなかで、口を開けて待ってても政府がなにもしてくれないと、ふさぎ込むのではなく、

自分たちのやり方で打開して自分たちが創ってきた文化を守ろう、やれるのは自分たちだと強い意志をもって取り組む

スピリッツをもっているフジロックを僕は引き続き応援したいです。

やはりフジロックはフジロックだったなと思います。



よく言われることですが、

「人は自分が正義だと信じているときが一番ヤバい」というのを体感しています。

僕も気をつけます。

今回の件は賛否両論あるのは確実なので、この意見も「そういうやつもいるんだな」くらいに

思ってもらえればと思います。

不快な気持ちになった方がいたらすみません。



長文読んで頂きありがとうございました。


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