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流れの力学を奏でる方程式:CFDの礎として――近刊『流れの方程式』はじめに公開

2022年1月中旬発行予定の新刊書籍、『流れの方程式』のご紹介です。
同書の「はじめに」の一部を、発行に先駆けて公開します。

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はじめに

〈前略〉 

CFDを仕事で使っている若手の技術者や博士課程の学生に聞くと、はじめはソフトウェアを使って楽しく計算しているだけだったが、数年経つと背景の理論を学びたいと感じる人が少なくないようだ。彼らの言う背景の理論とは、方程式の離散化やアルゴリズムに関する事柄である。これらも重要ではあるのだが、計算コードの背景となる理論ではじめに理解すべきは、流体物理とその方程式表現である。計算科学の研究者を目指すなら、方程式の離散化やアルゴリズムなどコーディングの知識は不可欠であるが、実験や観測を専門とする研究者が補完的なデータを得る目的でCFDコードを使う機会も増加しており、CFDコードのユーザーとして設計業務に携わる技術者も多数存在する。CFDを専門としない研究者・技術者の場合には、CFDコードを道具として使い、流体の挙動を正しく推定できればこと足りるだろう。それには、解の適否を見抜く力、すなわち物理的直感の礎を成す流体物理とその方程式表現の理解が鍵となる。もちろん、この力は計算科学の研究者にとっても不可欠である。 

流体力学には多数の名著があるので、それらを熟読して学べばよいのだが、社会人である技術者が専門書に没頭する時間をとるのは難しいだろうから、鍵となる方程式をまとめた書籍があれば便利だろう。熱意ある大学院生には深い学びを期待したいが、鍵となる方程式を修得した後に名著を熟読すれば、得るものもいっそう多くなるだろう。そこで本書では、非圧縮性流体を中心に流体力学の鍵となる方程式について丁寧に解説した。技術者には流体力学再入門、大学院生には既出の流体力学の名著への橋渡しとしての役割を担うことができればと考えている。このため、数式展開はなるべく丁寧に途中を記述し、読者が納得しながら式の展開をたどることができるよう配慮した。本書の構成を図1に示す。

 


第I部では、流体シミュレーションの主対象となる粘性流体の方程式と乱流の方程式について記述した。第1章では、粘性応力の定義から始めて、粘性による運動エネルギーの散逸機構を理解するための運動エネルギー方程式に至るまで、粘性流体の方程式(Navier–Stokes方程式)について詳細に記述した。さらに、非圧縮性流体に関しては、Navier–Stokes方程式の数値解法(とくに、既存の多くのCFDコードで採用されているMAC法系列の解法)の着想と、それを支える数学的な背景(projection法、Helmholtz–Hodge分解など)についても詳しく解説した。なお、離散化や差分スキームに関しては本書の主対象ではないが、数値解法の理論面の理解を深めるために必要な重要事項については、他書を参照する必要がないように簡潔に付録F.5にまとめた。第2章では保存則と方程式系の完結問題に関して全体像を記述し、熱力学的視点からのエネルギー保存についても言及した。第3章では、乱流における平均流の支配方程式であるReynolds方程式を導出し、Reynolds方程式中に未知量として現れる乱流応力(Reynolds応力)の輸送方程式(Reynolds応力方程式)を導出した。第4章では、Reynolds方程式を完結させるためのReynolds応力のモデル化、すなわち乱流モデルに関して、k-εモデル、k-ωモデル等の既存のシミュレーションコードで標準的に導入されているモデルを中心に、方程式の成り立ちや相互関係を詳細に記述した。第5章では、粗視化されたNavier–Stokes方程式を基礎式とするLarge Eddy Simulation(LES)について、SGS(Sub-Grid Scale)応力の導出や主要なモデルの構成について記述した。

第II部では、既存の流体力学関連の書籍ではあまり取り上げられない混相流の方程式に関して、近年の混相流シミュレーションに用いられる方程式の成り立ちを中心に丁寧に解説した。第6章では、気液混相流を取り上げ、連続体近似に基づく2つの流体の相互作用を記述するための方程式の枠組みを詳細に示した。さらに、気液界面の追跡法に関して述べ、気液界面を特徴付ける表面張力の表式とその離散化のための手法に関しても解説した。第7章では、固相を粒子分散相として扱うときに必要な乱流中の固体球の運動方程式に関して、流体力項(Basset項など)の表式の導出を含めて詳細な解説を加えた。また、粒子粒状体の運動方程式に関して、古典力学に忠実な剛体球モデルと個別要素法に代表される軟体球モデルの双方について詳述した。第8章では、連続相としての液相と粒子分散相としての固相から成る固液混相流について、モデルの細部を詳述した。はじめに、固相・液相のカップリングの分類を示し、固液が均質に混合した状態を記述する非Newton流体モデルについて解説した。次に、連続相の方程式に出現する分散相との相互作用項に関して、k方程式の導出の詳細を含めて述べ、分散相粒子のLagrange追跡の鍵となる瞬間流速場の記述に不可欠なLangevin方程式についても原理的な考え方から具体的な表式に至るまで詳細に解説し、分散相粒子を群として捉える拡散方程式に関しても成り立ちを解説した。また、流体・構造連成問題でも用いられる埋め込み境界法についても言及した。

第III部の成層流の方程式では、重力の影響下で密度成層を成す流れを2次元/1次元流れとして扱うための方程式に関して記述した。気象や海洋の分野では、薄く広い流れが一般的で、厚さ方向に積分した2次元の方程式(浅水流方程式)を基礎式として用いる。第9章では、3次元の方程式をLeibnizの積分則に基づいて水深積分して浅水流方程式を導く過程を詳述し、海浜流計算で重要となるradiation応力と気象・海洋の流体計算に必須の回転座標系の浅水流方程式について、成り立ちを詳しく解説した。ところで、支配方程式を数値的に解くことができなかった時代には、巧妙な解析的展開や近似によって現象の本質を失わずに方程式を単純化する工夫が積み重ねられてきた。1次元流れ解析はこの種の工夫の成果であり、工学系の学部レベルの基礎講義(土木工学では「水理学」、機械工学では「水力学」とよばれる)で重点的に扱われてきた。先人の知恵を学ぶことは大切であり、その意味で水理学・水力学は依然として意義深い。第10章では、自由水面(密度成層した大気と水の界面)を有する河川の流れを1次元流れとして解析する開水路水面形方程式に関して解説した。開水路水面形方程式は水理学の核といえる事項であるが、既存の水理学の書籍では、直感的に導出した1次元場での運動量保存則や力学的エネルギー保存則を起点として解説されることが多かった。一方、本書では、3次元のReynolds方程式を1次元化することにより水面形方程式に至る過程を詳細に記し、水理学と流体力学を繋げる記述に配慮した。

流体シミュレーションの対象となるのは粘性流体であるが、完全(非粘性)流体の力学が、粘性流体の力学を理解する前提としてきわめて重要なのは言うまでもない。本書が読者と想定する技術者・大学院生は完全流体の力学を学部時代に修得済みのはずではあるが、学部講義では直感的な解説に留まることも多いので、厳密な数式展開に不安を覚える読者も少なくないであろう。一方、本書で扱う流れの方程式を十分に理解するには完全流体の厳密な数式展開が重要となることも多いことから、付録として、完全流体の方程式に関して、詳細な数式展開に配慮した記述を行った。付録Aには流体運動の記述に関わる約束事をまとめ、付録Bには連続式とEulerの運動方程式の導出をEuler的およびLagrange的視点から詳述し、付録Cには、Bernoulliの定理の導出に関してまとめた。付録Dには乱流力学の理解にも不可欠な渦度の支配方程式に関して、渦度場と磁場の相似性に関わるPoisson方程式とBiot–Savartの法則など、場の構造に関わる方程式を含めて詳述した。完全流体の力学が実現象の記述にも威力を発揮するのが水面波の理論であるが、微小振幅波に限定しても数式が複雑なことから、学生には敬遠されがちである。付録Eには、理解のハードルとなっている数式展開を詳細に記載して、水面波の方程式の丁寧な解説を付した。

流体の方程式が難しいという学生は、たいていの場合、流体力学の道具としての数学の修得が不十分なようである。また、再入門の際にも道具としての数学を手際よく復習できることは有益であるから、ベクトル・テンソル解析、円柱座標系/球座標系で記述した流体の方程式、クォータニオンなどの道具としての数学について、重要事項を付録Fにまとめた。付録F.1~4、A~Dは本編の数式展開の理解を深めるために有用な事項を多く含むので、読者の必要に応じて参照してほしい。

これまでのCFDの講義は主として大学院レベルで提供され、受講者がコードを書く力を身につけることに重点が置かれていた。しかし、実務者の多数が日常の設計業務でCFDを使うようになった今日では、大学院レベルの講義を受講せずに職に就くケースも散見されるため、コーディング以前に知るべき事柄である流体の物理をより初等の段階で学ぶ機会を充実させる必要があるだろう。これまでの工学系の学部レベルの基礎講義(水理学/水力学)では1次元流れを重点的に扱ってきたが、CFDの理論的背景の理解には流体力学が不可欠である。それゆえに、付録A~Dの完全流体の記述から始めて第I部の粘性流体と乱流の方程式に進むことにより、これまでの水理学/水力学の講義から徐々に流体力学に軸足を移す場合の教材としても本書を活用できるように配慮した。

 

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著:後藤 仁志(京都大学 教授)

CFDの背後にある「流体の方程式」を深く理解するために

シミュレーション結果の妥当性を判断するには、流体の物理を知り、方程式の意味を理解することが重要である。

そこで本書は、非圧縮性流体を中心に流体力学の鍵となる方程式をまとめ、丁寧に解説する。

計算の主対象となる粘性流体だけでなく、教科書ではあまり取り上げられない混相流、河川や海洋の流れを扱う方程式まで広く網羅的に紹介するとともに、付録では数式展開に役立つ内容をまとめている。

 流体力学をより深く理解するための勉強としても、CFDコードを使いこなすためのリファレンスとしても役立つ一冊。


【目次】
第I部 粘性流体と乱流の方程式
 1.  Navier-Stokes方程式
 2.  保存則と場の方程式
 3.  Reynolds方程式
 4.  Reynolds方程式の完結問題
 5.  粗視化されたNavier-Stokes方程式

 第II部 混相流の方程式
 6.  気液混相流の方程式
 7.  固体球の運動方程式
 8.  固液混相流の方程式

 第III部 成層流の方程式
 9.  浅水流方程式
 10.  開水路水面形方程式

 付録
 A.  流れの記述法
 B.  連続式とEulerの運動方程式
 C.  Bernoulliの定理
 D.  渦度方程式
 E.  水面波の方程式
 F.  数式展開の道具としての数学

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