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#563 試合でできるように練習するのではなく、試合を先にする

最近読んでいる本「手紙屋 ~螢雪編~/喜多川泰 著」の中で、次のような場面があった。

主人公・和花が学ぶ意味を知り、本格的に勉強をしようとしていたところ、兄・喜太郎から「先に過去問などの問題集から取り掛かった方がいい」とアドバイスを受ける。きちんと基礎の暗記などから取り組んだほうがいいのではないかと言う和花に対し喜太郎は「それは辞書を全て暗記してから英文を読もうとするようなもの。そうではなく、先に実戦をやってどこを勉強するべきなのか知った方がいい」という意味のアドバイスだった。読んでいて、なるほど、これはスポーツにも流用できる話だと再認識した。

僕の場合はソフトテニスというスポーツに関わっているが、多くの保護者さんが「まだルールを覚えていないから」「まだサーブも入らないから」などの理由で我が子を試合に出すことをためらうことがよくある。確かに、ルールはある程度覚える必要があるし、サーブが入らなければ試合としては半分成立しなくなってしまうので、わからなくもない。しかし、僕は常々それは発想の順番が逆だと伝えるようにしている。

もちろん、上位大会への進出をかけた選手権大会など、それなりに格式のある大会ではルールがわかっていなかったり審判ができないという状態ではまずい部分がある。僕が関わっている小学生のカテゴリーでは、少なくとも滋賀県内の大会においては、ルールの理解が不十分で審判を行うことが難しい場合、大人や高学年の子どもなど代行できるものが行うようにする、という取り決めがある。ローカル大会など少し敷居の下がる大会では、補助を付けながら審判の練習も兼ねて大会に参加する、ということも認められていたりもする。

練習の中では、審判ができなかったりサーブが入らなかったりしてもそれほど困らない。しかし、大会に出てみれば話は別。そこで困った経験をすると、子ども本人の意識が変わる。ルールを理解して審判をすることができなければ、サーブを入れることができなければ、困ったり悔しい思いをすることになる。そこで、本人が「できるようになりたい」という意識を持つようになることがほとんどだ。

大事なのは、本人がその意志を持ち始めることだ。大人が心配して「まだちょっと…」とブレーキを踏んでしまっては、今自分に必要なことを知る機会=試合というチャンスを逃してしまう。昨日今日にラケットを持つようになった初心者は別として、ある程度練習に取り組んできてソフトテニスに親しんできたのであれば、踏み出す不安に寄り添いながら、世界を広げてあげる背中押しをしてあげるのが大人の役割ではないだろうか。

(了)

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