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#594 当たり前じゃない

感謝の反対は当たり前。今ある環境の全ては当たり前じゃない。それを具体的にイメージしようと思ったら、どういう方法があるだろうか。

当たり前に感じていることが当たり前じゃないとき。日本がまだ戦争中だった頃はもう80年ほど前になってしまった。今も戦争・紛争のさなかにある海外の国の話は、もっと身近に考えてもいいことなんだけど、どうしても少し遠く日本に住む我々の日常の中のことではない。阪神淡路大震災からはもうすぐ30年、東日本大震災からは10年以上が経った。でも、ほんのちょっと前まで当たり前が当たり前じゃないときがあったじゃないか。そう、コロナだ。

コロナ、COVID-19の日本における扱いが5類感染症というものに移行されて半年ほどが経った。そこら中にあったパーテーションやアクリル板はほとんどが姿を消し、マスクをして外出する人もかなり減った。ソフトテニスでは大会が従来どおり開催されるようになり、声を出しての応援も普通に行われている。コロナを理由に練習や活動を自粛している団体など、ほぼ存在しないだろう。我々がソフトテニスを楽しめる環境は、当たり前に戻った。

本来、子どもたちだけでなくすべての人が自分の好きなことを楽しむ機会は当たり前に保証されているべきだ。心身共に健康なのにソフトテニスができない、という環境は異常だった。しかし半年もするとそんな日常があったことは記憶の彼方に忘れ去られていき、当たり前に享受できている環境に何かを感じることはほとんどない。

思えば、COVID-19が日本に入ってきて緊急事態宣言が出され、社会がストップしていたのはもう3年前のことだ。もう、といったが、まだ、とも言える。まだ3年しか経っていないのに、当たり前のことが当たり前にできることに感謝だなぁ、と思っていた頃のことはえらく前のことのように感じられる。

今の自分を、ソフトテニスを楽しみたくてもがんばりたくてもそれが許されなかった頃の自分が見たら、どう感じるだろうか。なんだよ、そんなに恵まれた状況にいるのに、なんでもっと一生懸命やらないんだよ、と思われてしまわないだろうか。視点を未来や過去に移すと、今の自分の見え方が変わる。夢や目標を達成・実現した未来の自分をイメージしてその視点から今の自分を見たら、おいおいそんなにサボってる場合じゃないぞ、と言われてしまうかもしれない。

ほんの2・3年前まで当たり前じゃなかったものを、今の我々は当たり前に享受できている。当たり前にして感謝を忘れてしまうのではなく、今ある環境への感謝は常に心の中に置いておきたい。

(了)

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