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#529 集合写真の撮影に一家言あるモリオカ

今朝の、西野亮廣さんのVoicyを聴いていると、集合写真を撮るときのモヤモヤについてお話をされていた。西野さんは、以前より集合写真撮影時の「これって必要?」なことについて度々お話されている。放送の本題はそこではないが、個人的に思うところがあったので今回はこれに便乗させていただく。

僕も子どもたちとソフトテニスを通じて関わるなかで、遠征や大会に行ったときに集合写真を撮る機会がある。そんなときにどうしても思ってしまうことがある。それは

そんなにたくさんのスマホで代わる代わる撮る必要、ある?

ということである。

どういうことか。いざ、集合写真を撮りますよ、となったときに、最初は真正面に構えたスマホのカメラで撮影が行われる。すると、そのスマホでの撮影が終わった次から「じゃあ次はこっち見てー」「次はこっちー」と、別々のカメラでの撮影がしばらく続く。その集合写真に写る子どもたちの、保護者さんによる撮影リレーが開幕するのである。

気持ちはわかる。我が子の写る写真を、自分のスマホに収めたい。それは、僕自身も子を持つ親であるから、我が子の写る写真は手元に置きたい。だが、よく考えてみてほしい。スマホというのは、実は手軽に写真の共有ができるのだ。

今更何を、当たり前のことを言っているのだと思われるかもしれない。しかし、いざ子どもたちの集合写真撮影が始まると、大人たちは手元のその機械の機能を忘れてしまったかのように撮影リレーを始める。その間、被写体となる子どもたちはほぼ同じ方向を見たまま、笑顔をキープしてフリーズ。やってみればわかるのだが、数十秒から1分近く笑顔をキープするというのは、なかなかに大変なものである。もしかしたら、後半は引きつっているかもしれない。

このnoteを読んでいたり、それを読み上げたstand.fmを聴いているような人に、スマホを使ったことのない人はいないと思う。昔のようにカメラはフィルムで個々に現像するしかなかった時代なら、各個人の持つカメラで撮影のリレーが行われるのも致し方ないと思う。しかし、時代は令和、スマホ全盛期である。なんなら、一眼レフのデジタルカメラで撮影されたような美しい写真でも、データの共有はかなり安易にできるようになった。その次代に、その撮影リレー、本当に必要?

被写体となる子どもたちは、ともすれば光の当たり加減を考えて逆光の中で笑顔をキープしているかもしれない。その状況は、少しでも早く終わらせてあげたほうがいいと、僕は思う。撮影される側のことを第一に、スマホで集合写真を撮るなら一台で、一回で。データは撮影後に共有する、ということで手を打ってみてはどうだろうか。

(了)

○この内容をもとにお話したstand.fmの放送は、こちらから聞くことができます


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