3月21日(2007年) 初めてのアジアのアウェイ

初めてのアジアのアウェイの闘いがオセアニア・・・

まあ、オーストラリアがAFCへ加入したのだから仕方ありません(笑)

私は後援会のツアーで参加しました。当時はサラリーマンだったので休みがとれるかが大問題。後援会のツアーが発表されたときに、20日の夜の便で成田を発ち、春分の日の21日がマッチデー、シドニーに1泊して翌22日の朝の飛行機でシドニーを発ち、その日の夜には成田に着いて、自宅に戻れるという強行弾丸ツアーがありました!これなら20日を直帰にして、22日一日だけ有休を取ればOK!もう迷うことなく申込ました。

シドニーの空港についていきなりアウェイの洗礼。与野を出るとき、北風が強くてとても寒くて真冬の格好で出発。そのままの服装でシドニーの空港に降り立ったら、暑いのなんの。現地は南半球だから夏から冬へ移行することを忘れてました(笑)

開門の前にスタジアムに着くと、もう真っ赤!(笑)

「あれ?オーストラリアのシドニーに来たんじゃなかったっけ?」と思うくらい、日本のアウェイのスタジアムと同じような光景が広がってました。そして、集まった浦和サポーターを前にして角○さんと清○さんが木に登って気勢を上げましたが、二人が乗った木の枝が折れてしまうハプニング。二人に怪我もなく、その後、スタジアム関係者や、当局からお咎めを受けることもなく開門になりました。

入場の際の荷物チェックで、フラッグケースを「What is this?」と聞かれました。ゲーフラ用の竿しか入ってないので、「中身を見せろ」と言われたら面倒だなと思い、笑顔で「フラッグ!」と旗を振るしぐさをしたら、「OK!」と言われてそのまま通過。無事に浦和レッズ側のゴール裏に辿り着きました。

そして、ACLは甘くはなかった(-_-;)

いやいきなりの2失点。そして日本のアウェイでは感じたことのない相手サポーターからの威圧感、圧迫感。屈強のオージー野郎どもが野太い声で肩を組んで跳ねている姿に度肝を抜かれました。

しかし、我々も負けてられない。「世界に見せつけろ俺たちの誇り」まさにその気持ちでした。

その後、ロビーの活躍もあり2点取り返して、ドロー。アジアのアウェイで負けなかったのは良かったと自分に言い聞かせました。

着ていたTシャツは汗でビショビショ。試合終了と共にどっと疲れが出ました。スタジアムを出ると驚きの光景が。シドニーのサポーターがフレンドリーにハイタッチを求めてきて、中には「シャツをくれ」と言ってくる人まで!流石に汗でグチャグチャなシャツを上げるわけにはいかなかったので、「ベーリーウェット」と言ったら彼も状況を察して、笑顔でハイタッチしました。これは浦和レッズのサポーターの応援が余程印象に残って好意を持ってくれたのか、それとも万人に対してこうなのか。前者であると勝手に信じてます(笑)。実は翌朝の出国の審査官も笑顔で「Oh!URAWA REDS!オツカレサマデシタ!」と言ってくれたのは驚きでした。

試合後、ホテルに戻って近くのバーで食事も兼ねて仲間と飲んでいたら、店員が「12時になったから、ルールだから出ていけ」と。「それ、早く言ってよ」と言いたかった。残っていた食事とアルコールを持ち帰りにしてもらって(アルコールは瓶ごと持ち出せたので何本か追加しました)、ホテルで呑みました(笑)

翌日の帰国便は、選手と同じ便の飛行機になり思いで深いACLアウェイ初参戦になりました。

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