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池江璃花子選手の精神面の非凡さ

東京オリンピック代表に内定

2021年4月4日競泳池江璃花子 選手は、日本選手権・女子100メートル・バタフライで優勝し、東京オリンピックメドレーリレーの派遣標準記録を突破し代表に内定しました。

優勝後のインタビューでは、こらえきれず涙を流しながら
「本当に優勝を狙ってなかったので、でも(順位が)何番でも ここに居ることに 幸せを感じよう というふうに思って、最後も仲間たちが 全力で送り出してくれて、今すごく幸せです」
「自分が勝てるのは ずっと先のことだと思っていたんですけど、勝つための練習も しっかりやって来ましたし、最後は「ただいま」という気持ちでこのレースに入場してきたので、自分がすごく つらくて しんどくても努力は必ず報われるんだな と思いました
と語りました。

東京オリンピックの金メダル候補と期待された最中の2019年2月(18歳)、自ら白血病であることを告白

その後 10か月に及ぶ壮絶な闘病生活(想像以上に過酷な抗がん剤治療のつらさから「死にたいと思った」時期もあったそうだ)を経て、2019年12月退院報告では、「2024年のパリ五輪出場 と メダル獲得 という目標で頑張っていきたい」と宣言。

そして、2020年3月406日ぶりにプールに戻って来ました。体重は なんと18㎏も落ちていました。

6月本格的に競技復帰を目指し10月の日本学生選手権(インカレ)で競技復帰を果たしました。

その半年後日本選手権での優勝 & 東京オリンピック内定です。

第2の人生の「自己ベスト」

2021年3月18日 相葉雅紀さんによるインタビュー(4月4日サンデースポーツ)

闘病生活ですか? もう2度とあの経験はしたくないし、逆にもう一度あの経験をするんだったら、私はもうつらくて耐えられないと思いますね。』
相葉復帰後のタイム伸びるたびに自己ベスト”っておっしゃるじゃないですか。何か意図があるんですか?
池江〕『3歳から水泳を始めて、18歳まで積み重ねてきた水泳人生だったり、自分の体っていうものが1回筋力もなくなり、まあ気持ちは残ってたとしても、いろんなものが自分の周りから失われた時に、また1から始めなければいけなくなって筋力とかも また1から積み上げていきましたし、そう考えたときに、新しい自分が生まれてきて、イコール 今の自分は過去の早かった時の自分とは比べずに、今を頑張るっていう考えでやっています。』

池江選手は、復帰後 最も速いタイムを出すごとに、「第2の人生の自己ベスト」という表現を使っていました。

アスリートとしての いわば臨死体験 をしたからこそ 出てくる考えであり、言葉だと思います。

多くの一般人は、同じような状況に置かれた時に、まず過去の自分のベストまで戻そうと考える人が多いのでは ないでしょうか。
この考え方は、実は視線が後ろ向きになっています。

彼女はそう考えずに、過去の自分と比較することなくその姿も追い求めず目の前の 自分がやるべきことに集中し、前を向き続けています。

センターレーン 池江璃花子 (SK-II STUDIO: 監督 是枝裕和) #CHANGEDESTINY

過去の事とか 気にしてても何も変わらないので、とにかく自分は何をすれば何か未来が変わるかっていう 後ろを振り向く必要はない かなと思います。
なにか一つのちょっとだけ違った行動だったり考えで、運命とか未来って簡単に変わると思ってるので、だから今のこの瞬間をどう生きるか どう大切にしていくのかっていうのも 自分の人生において 誰の人生において大切な事だなっていうふうに思っています。

池江選手はトップアスリートではあるものの、弱冠二十歳という若さです。しかし、彼女が語る言葉には、長く修行を積み重ねた老師の人生訓相通ずるものがあります。

自国開催のオリンピック直前に、しかも自他共に認める金メダル候補という絶頂期で体験した突然のどん底体験。
「死にたい」と思うほどの 壮絶なつらい闘病生活。
これらの苦難を経たからこそ出てきた考え方であり、紡ぎ出される言葉であるのかもしれません。

彼女の今後の挑戦 や 泳ぎを見るたびに、
過去の事を気にしても何も変わらない
自身の考え方 や 行動一つで運命 や 未来は 簡単に変えることができる
今この瞬間を どう生きるか どう大切にするかが 人生において大切
思い出したい言葉です。

*写真:オリンピック@gorin

追記:池江選手は、4月8日日本選手権でも、女子100メートル自由形決勝優勝しました。400メートルリレーのオリンピック派遣標準記録を突破し、リレーメンバーとしても代表に内定

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