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別席制度とおさづけについて

 タイトルの通り、別席の制度おさづけの理について考えてみたい。年ごとの別席者数は10年ごとの年祭時に若干増えるものの、完全に右肩下がりで減る一方のようである。神の思いを人間に伝える場であると考えれば減っているのは問題である。しかし、見方を変えると今の別席制度に対して問題があるから減るのも仕方がないのではないかとも思えてくる。

天理教社会学研究所より

 まずは現行の別席制度について見てみることにする。教会本部のHPによると次のようになっている。

別席は「おさづけの理」を戴くために、おぢばで聴かせていただく親神様のお話です。このお話を聴くことを「別席を運ぶ」といいます。満17歳以上ならだれでも運ぶことができます。別席を運ぶ順序としてはまず、「別席の誓い」をします。これは、しっかりとした心構えで別席に臨むことが肝心だからです。別席では聞き落としや取り違いのないように、同じ理のお話を9回聴きます。一席、二席と運ぶ中でこれまでの通り方を振り返り、お話の理によってだんだんと心を洗い立て、入れ替えるとともに、心に治まったところを身に行うことが大切です。そして、九席目で満席となり、何よりも尊い天の与えであるおさづけの理を戴きます。別席中に培った、人をたすけたいとの誠真実の心に、生涯の宝としておさづけの理が授けられるのです。

天理教公式HPより

「しっかりとした心構えで別席に臨むことが肝心」とあるが、実際のところは「付き合い」「義理」、或いは「年齢が達したから」とか、もっと別な理由があり、別席を運んでいる人もかなりな数がいるように思う。「何よりも尊い天の与えであるおさづけの理を戴きます」とあるが、工場の大量生産のように、とにかく数を増やすことに力を入れてきたようにも感じる。別席団参という形で観光旅行のついでに天理教のお話も聞いてみようというなこともあったのではないだろうか。現実は「何よりも尊い天の与え」を戴きに来るというのとは雲泥の違いがあるようにも思う。

「おさづけの理」について調べていくと古くは飯田岩治郎(水のさづけ)、村田孝右衛門(御幣・肥・扇)辻忠作(御幣・肥・てをどり)、仲田儀三郎(扇・御幣・肥・息)山中忠七(扇・御幣・肥・物種)、女性では増井りん(息のさづけ)などの例があり、他にも教祖が現身を隠されてから本席からいただいた者もいる。本席亡き後はナライトさんに引き継がれたようであるが、ナライトさんは元々、教祖から「人足社」として神の啓示を伝える役割を持っていた人でもある。その点、水屋敷事件で異端扱いになってしまった飯田岩治郎も同じく、「人足社」であり、神の言葉を伝える役割を持っていたようだ。

 ナライトさんは今のように別席を9回運んで願い出れば「おさづけの理」を渡したようではなかったようだ。すべてお見通しだから、渡せる者と渡せない者を見極めていたようである。結局、大正7年にたまえさん(ご母堂)が本部員会議で話し合われ、おさづけの理を渡すことになったようだが、この時に天啓は切れてしまったのかとも思える。従って、それ以降はすべてが本部員会議で決まる体制が出来上がり、神に伺いを立てて物事を運ぶ体制は無くなったと言える。神不在の人間中心の「天理教」の始まりのように思える。
 こういったことからも私は現行の「別席制度」「おさづけの理拝戴」というのはいったい意味があるのだろうかとか、効能はあるのだろうか、とも考えてしまうのだが、結局、「おさづけ」というものは神との対話だとも思っている。形式ばかりにこだわり、真実がなければ、おさづけの理を拝戴したとしても意味はないだろうし、歴代の真柱から戴いたおさづけだとしても、神に真剣に助かりを祈り、神が働けば祈りは通じるものなのかとも思っている。

 なぜこのように考えるに至ったかを話せば、仲田儀三郎をはじめ、先人のことを調べていると「さづけ」を戴いても、神になったわけではないからである。あくまで人間であり、道を通る上で路銀として渡されたにすぎないからである。現行の天理教では各系統ごとに初席者数、おさづけの理拝戴者数などを競うことばかりに熱心で、その数が信仰の度合いを測るようなことになっている。勝手に上が決めた「心定めの数」を達成したとか、しなかったとか、数にこだわることばかりである。

 これでは自ら信仰を求めるのではなく、付き合いで別席を運ぶ者政治家などのように票がほしいがために信者になろうとする者が出てきてしまう。大教会や所属教会に目を向けても、教会長さんは数ばかり気にして、達成した、達成できなかったとその成果を貼りだされ、一喜一憂しているにすぎず、真のよふぼくを育成していくことは二の次になっているようにも感じる。
 また教団も政治家が別席を運んだと天理時報などで記事を流し、広告塔のように使う。教会長も、とにかく数を増やすことが第一義になり、何でもかんでも初席者を増やし、自教会の「成績」を上げることに力を入れてしまう。数値化することが信仰なのだろうか。名ばかりのようぼくをたくさん作り、真のようぼくが育っているとは思えない状況があるようにも感じる。

そういった姿が今の若い人たちに受け入れられるだろうか?
若い後継者や子弟が親のそういった姿を見続けて、自分も頑張ろうと思えるだろうか?

 これらに関しては、まずは「にをい」をかけ、別席で話を聞いてもらい、そこからよふぼくとして丹精していけばいいとか、賛否両論はあるかもしれない。しかし、長い間、別席者を作れ、とにかくおぢばがえりしてもらい、基礎講座なり受けてもらえばいいというような体制から真のよふぼくが育っているようには感じられない。

 天理教の衰退の原因が教団と制度にあることは間違いなく、改めるべきことは時間をかけてでも、変えていくべきではないだろうか。私にはご存命の教祖が「なんぼやっても、あかせんで。」と数字にも表してくださっているようにも感じてならない。見直す時期が来ているようにも思うのだが。

 集会員さんが読んでいらっしゃるのであれば、是非、取り上げて、集会でも話し合ってもらいたいものだ。

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