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因縁なるのなせる業…

 前回の記事を書いてから大正初期にはいろいろあったのかと思っていた時に、『道の八十年』松村吉太郎を読み直していて、気になることが、また出てきた。その部分を抜粋するので、少し読んでいただきたい。時期は内容からして大正5年頃の話のようである。

ちょうどその頃であった。私は意外な事件を耳にした。飯降(政甚)さんの負債問題について、本部との間に醸していた面白からぬことである。かつて、大正二年十月ごろにも不始末があった。その時は私と増野(正兵衛)さんがとりもち、保証人となって問題を解決したことがある。それからまだ幾何もないのに、飯降さんは再び債務のために家屋の差押処分を受けた。しかし、一度ならず二度目のことだ。本部は巳むを得ず断然たる処置をとって、救援の手を出さなかった。私は謹慎中の身も忘れて飛び出した。-たとへ、政甚さんに不始末があっても、本教のために最も由緒ある飯降家をたおすことが出来ない。そんなことをしては、天理教として世間にも顔向けが出来ないばかりでなく、道の精神がたたぬ。と考えて、この私の主張を本部に訴えた。私は素より、道のためにささげた家が、後になって潰れてゆくのを座視できないのである。親がみちにつくしきり、子をして露頭に迷わすのは、まことに情に忍びない。子の道を立ててやることが、親の霊に報いる唯一の道である。これは私の日頃からの考えであった。私は自身の身柄をも省みないで、道のためにこの主張を一歩もゆずらなかった。私の願望が容れられて、飯降家の建物を管長名義で保存登記すると共に、私費を投じて差押処分を解除した。

『道の八十年』松村吉太郎 294-295頁

 文中に「飯降(政甚)さんの負債問題」とあるが、何か大きな借金でもしたのだろうか?「大正二年十月ごろにも不始末が」とあるので、何度も繰り返しているのか?とも思えるが、いったいどうしたことなのか。差押処分とは穏やかでないが。詳細が書かれていないので、読者にとっては気になるところである。『天理教事典』おやさと研究所編の飯降政甚さんの頁を調べても、負債問題などということは出てこない。そもそも政甚さんに関する記述も短い。本席の息子さんなのに、どうしてなんだろうという思いがする。

 『天理教事典』によれば政甚さんは教祖から名前もつけてもらい、「この子は前生は破れ衣服を着て長らく苦行したるによって、そのいんねんで元のぢばへつれ帰って楽遊びをさせるのや」とも言われていたようである。
 それにしても「負債を抱える」ほど、「楽遊び」してしまったのだろうか? 前の記事(私の「中山松枝」考…その1)で、政甚さんの談話なども取り上げたが、いったいどういう人だったのか?と益々、興味が湧いて来る。
 政甚さんは本席が出直した翌年35歳で本部員となられたようだが、松村吉太郎さんの談によれば大正2年に不始末があったとのことだから、本部員になって40歳の頃に何かやらかしていることになる。
 
 いろいろ考えている時に、『新宗教』(大平隆平)に政甚さんについて書かれたものを見つけた。少し読んでいただきたい。

殊に政甚氏の不覊放縦な生活は中山家計りでなく教界全体の信用を失ふ大なる原因でありました。其れがために折角の味方も敵となつた者も少くはありますまい。
 もし政甚氏にして御本席の生前は兎に角死後に感奮して真に素行を謹みてせめて父の十分の一の徳を全うせられたならば必らずや今日の如き落莫の状態には陥らなかつたのです。
 けれども当時は政甚氏も年壮気鋭にして深い前後の思慮を欠き易き時代であつたから止むを得ぬものゝ今日は既に年四十の余を超え人間としては最も信用のなければならない時代であります。其れを何んぞや幾つになつても十八や十九の青年の様な心になつてウカ/\として暮らしていて何うなるか。実に飯降家の失つた信用と名誉とを回復するも失墜するも氏一人の責任にあるのである。
 殊に今年は御本席歿して十年である。もし多少なりとも父を思ふの念があつたならば此の期を一期として既往の不心得を霊前に謝し、将来の覚悟を神前に契ふべきである。
 もし然らずして今後も既往の如き素行を継続するに至らば今度こそは教界の内外共に飯降家を顧みるものがなくなるであらう。其れがために二姉の肩身の狭窄せらるゝも必然の致す所止むを得ない所であらう。

『新宗教』三家に与ふる書 大平隆平より抜粋

 いったいどういうことなんだろう?「不覊放縦」というのは 何ものにも縛られず、好きなように振る舞うことのようだが、「実に飯降家の失つた信用と名誉とを回復するも失墜するも氏一人の責任にあるのである。」ということは何かやらかしたのだとしか思えない。本席が出直して十年とのことだから大正六年より前の頃のことかとは思うが。

政甚氏は「新宗教一月号の余の談話に就いて」で次のように述べている。

又た御本席が其んな話をしたとすれば御本席と云ふ人も詰らない人であると云われたが自分は教祖の公平無私の偉大なる大精神を汲んで無量の感慨に打たれた本席其の人を偉いと思ふ。これは自分の父であるからいふのではない。人間として兎に角偉いと思ふ。
 其れから秀司さんであるが一月号では自分の所謂秀司観なるものが徹底して表われていないが自分の考では彼の人の信仰が正しくあつたか又た誤つていたかを問わず最後迄反対を続けたといふ彼の人の意志の強固な点は偉いと思ふ。これが普通人であつたならば中途有耶無耶になるのであるが其所を何処迄も教祖に反対し切つたといふ点は中々尋常人ではない。其の反対の中を切り抜けた教祖も偉ければ其の反対を死ぬ迄続けた秀司其の人も偉い。一月号では此の点が充分表われていないが兎に角一面に於ては秀司其の人を感心している。

「新宗教一月号の余の談話に就いて」飯降政甚

 断片的に出てくる政甚さんの他の話からも、どうも政甚さんは自由奔放というか正直というか、今風に言えば忖度ができないというか、そういう人物であったようである。上記の秀司さんについても忖度なしで、ずばり最後まで教祖に反対であったことを貫いているのは偉いとほめている。中々尋常人ではないとまで言っている。ちょっと待てよ?秀司さんって、親孝行な人じゃなかったのか?まつゑさんと結婚して変わってしまったのだろうか?もう何が真実なのかわからなくなってくる。また本部の体制についても

元来天理教では今日迄悪い事は何んでも隠そうの隠蔽主義一点張りで通つて来たが自分の考では其れでは反つて世間の疑惑を作る元だと思ふ。其れだから事実は何処迄も事実として社会に発表して善悪是非の判断は社会に任せたが良いと思ふ。

「新宗教一月号の余の談話に就いて」飯降政甚

 まったくその通りだと思う。拍手を打ちたくなる。しかし、益々、政甚さんという人がわからなくなる。政甚さんは昭和12年1月に64歳で出直されたようだが、二代真柱体制になるまでの山澤管長摂行時代には自由奔放に言いたいことを言って、本部の中でも厄介な存在だったのかもしれない。まあ、やらかすわ、言いたい放題言うわでは、さぞや、山澤為造さんも松村吉太郎さんも大変だったことと思う。だから『道の八十年』でも思わず、回顧談として書いてしまったのだろうか?とも思えてくる。隠蔽主義なら当然、書けないことだろうから。

 政甚さんのことを書いているうちに思い出したが、その後、児童養護施設「天理教三重互助園」の横領事件はどうなったのだろう。一億越えのすごい額で、横領した金は競馬や生活資金に充てたと言っていたように記憶しているが、そんなにギャンブルや遊びで使えるものなのだろうか…と貧乏人の私は思うのだが。数か月前の話だが、全く聞かなくなったように思う。
 施設側は1億8千万の被害と出ているとのニュース記事があるようだが、着服した金額は560万円という記事が、今でもネット上にはあるようだし、いったい何がどうなっているのだろう。まあ、個人的には560万くらいなら、競馬とか遊びに使ったと言えば信憑性もあるとは思うのだが。本当によくわからない事件だ。政甚さんの事件から百年たった今も隠蔽しなければならないような事情が起こるというのも因縁なるのなせる業としか思えないのだが。

 この横領事件も百年後には隠蔽された事実として、知る人ぞ知るニュースになるのかもしれないと思うと何ともいえない気分になる。しかし、いろいろ調べていて思うのだが、教祖の教えというのは、天の理そのものだということだ。公平無私であり、真実を説いてこられたのだという思いが強くなる。教祖に近い高弟の子孫であれ、それは関係ないようだ。更に言えば、信仰というものは個々人のものであり、家柄などは関係ないのだとも感じる。

「親ガチャ」という若者言葉があるらしいが、「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」というのも、天理教的に言えば、「因縁のなせる業」なのだろう。好き好んで末端教会に生まれたのでもなく、好き好んで本部員や大教会の子弟に生まれたわけではない。大事なのは教祖が教えた純粋な教えをしっかり理解し、心におさめ、それを実践していけるかということかとも思う。しかし、その「教え」も五目交じりで純粋なものとは思えない。今の別席制度も変だと思っている。だから、真実を知りたい。だから一円にもならないのに、時間と労力をかけても調べて、Noteを書いている。

 松村吉太郎さんの「たとへ、政甚さんに不始末があっても、本教のために最も由緒ある飯降家をたおすことが出来ない。そんなことをしては、天理教として世間にも顔向けが出来ないばかりでなく、道の精神がたたぬ。」という気持ちもわからないではないが、教団の隠蔽主義というのは、変えていかないと後々、禍根を残すことになるのかとも思える。

 元安倍首相の事件も然りである。森友学園事件、赤木さん自殺事件など、結局、うやむやに終わらせようとして、そうなった。でも結局は、一時は、やり過ごせたと思っても、禍根を残すことになってしまう。天の理なのかなとも思える。

 教団の改革を求める声がインターネット上にあふれているようにも感じているのだが、本当に原点に返るとか、奥谷文智さんが言ったように“教祖に帰る”べき旬が来ているようにも感じる。


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