Dream is just a measure. 【勝手にリレーエッセイ 2023冬 #2】
〈まえがき〉
こんにちは。morii otoです。
イトーダーキさんから始まり、ヤス(ウエダヤスシ)さんからバトンパスされ、この記事を書きます。
今回は第2走者としてバトンを落っことさないようギュッと握りつつ、ただせっかくなので危なっかしくも少々振り回しつつ、第3走者の長谷川林太郎さんに繋げたいと思います。
この記事を書くに当たり、イトーダーキさん、ヤスさんは勿論のこと、よよさん、じゃむむさん、潮永三七萌さん、勇敢なヘラジカさん、リトさんと、様々な方の "夢"観 を参考にさせて頂きました。
拙い文章ですが、よろしくお願いします……。
では。
「夢の見つけ方、あきらめ方」
というテーマを目にした時、頭を抱えた。
正直な所、夢を「見つける」感覚が無いから。
私にとって夢とは、何かの末見つけたものでも無く、誰かによって運ばれたものでも無く、
ただ自分が幸せになる為に「選んだ」ものなのだ。
夢は掘り起こされて、埋められて。
幼い頃の夢は「音楽と共に生きること」だった。
分かりやすく言えば「ピアニストになりたい」。そう思っていた。
先生が怖くて毎週のレッスンは嫌いだったが、何故だか離れたくても離れられなかった。
恐らく「音楽が好き」という性質が元来自分の中にあって、母親が3歳の私にピアノを触らせたことでそれが掘り起こされたんだと思う。
だから、音楽と共に生きる選択をすれば自分は幸せに違いない。そう信じていた。
けれど、ピアニストのリアルをほんの少し垣間見て、私はその夢をまた自分の奥底へ埋めた。小4だった。
音楽が好きという気持ちさえ捨てる事で、この夢のことは忘れた。母に心配されたが、家にあるピアノも捨てた。
それから月日が経ち、高3の時に私は新たな夢を選んだ。それは、
「リハビリでアスリートを救うこと」
その後スポーツに励んでいた私が、現役時代怪我に苦しんだ経験から選んだ夢だ。
「人のため」を原動力にする事は苦ではないし、高校生活の全てをスポーツに注いで後悔は無かった。だからこの夢に向かって努力する事を選んだ。
私はこの夢に大学生活全てを捧げたと言っても過言では無い。実際に数十名のリハビリを担当し、復帰までサポートした。中には復帰後全国大会に出場した選手もいる。自分が考えたトレーニングがプロのチームに採用された事もあった。
しかし大3になり就活生となった私は、迷わず一般企業への就職を選んだ。
教授は「勿体なくない?」と言ってくれたが、全く揺らがなかった。
この夢は苦ではないが、幸せにしてくれるものではなかったから。
スポーツに全てを懸けて幸せだと笑顔で話す選手を見て、
簡単に「ここから離れたい」と思ってしまえる私なんかは、この夢を選ぶべきじゃない。そう思った。
同時期に、私はピアノと再会した。
手首が痛くなっても、何も食べなくても、幸せだった。
気づいたら夜が明けてしまうくらい、夢中だった。
ああやっぱりこれだよな。
私が幸せでいる為にはこれを選ぶべきなんだ。選ぶしかないんだ。
そう思って今に至る。
Dream is just a measure.
”measure” という単語は、1語に多くの意味が詰まっていて非常に面白い。
これはほんの一部だが。
私は今回、この3つの意味を記事のタイトルに込めた。
私にとって夢とは、ただ自分を幸せにする為の手段の1つである。
けれど、夢とは限界まで努力した時にしか実現できないものであり、夢と現実を並べてみれば、自分が今限界と比較してどれほどしか努力していないのか簡単に明らかになってしまうような、恐ろしい物差しでもある。
私は夢に振り回される気はさらさら無いし、私にとって夢とは、人生をより良くする為に利用するものに過ぎない。だから別にあったら便利だし、無くても十分生きていける、そのくらいの気持ちだ。
Dream is just a measure.
私にとって夢は、ただ幸せでいる為に選ぶものである。
この夢をあきらめる時。
それはこの夢が、自分を幸せにするものとして適切ではないと判断する時だ。
(1397字)
【勝手にリレーエッセイ2023冬】
第3走者 ティンバーズCEO | 長谷川林太郎 さん
【”勝手にリレーエッセイ”の概要】
【#0 イトーダーキさんの記事】
【#1 ヤス(ウエダヤスシ)さん】
【同じく第2走者の方々】
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