AbemaTVで放送された出産映像ドキュメンタリーについて

AbemaTVで面白いテーマが放送されていた。
授業で出産時の映像を流したら気分を悪く(退室するほど)した生徒がいたとの事でやや問題になったらしい。
番組内では見る見ないの選択が出来たほうがいいのではないかという議論も起こっていた。
が、しかしながらあらゆる人間の親が経験している「出産」の授業に見ないという選択肢は果たして義務教育の範疇から許容できるものなのか。

例えば防災の授業において東日本大震災の津波の映像を見せる授業があったとする。
津波の映像はかなり衝撃的で今見ても嫌な気持ちになる。
津波の映像を見て気分を悪くする生徒も一定数いると想定される。
ここで気分を悪くするという事を理由に見ないという選択肢は許容されるのか。

例えば生物の授業で虫の映像を見る機会があったとする。
虫が苦手な人は生徒に限らず大人にも一定数いるだろう。映像で授業をすすめることで気分を悪くする生徒も現れることが考えられる。
しかし気分を悪くする事を理由に映像を見ない選択肢が許容されるのか。

あくまで上記の2つの例は義務教育の範疇を想定した話であり、つまり「義務」である。

生徒が気分を悪くする事への一定の配慮は当然必要だとは思うが、見ないという選択肢を安易に用いる事への懸念も感じる。

今回AbemaTVで放送されたこの議論を聞いて感じた印象を人類の総貴族化という表現をする事にする。

つまるところ文明の発達に伴って見たくないところは見ずに、臭いものに蓋をしたまま生活が出来るようになってきたため、ストレスを伴う学習や経験が忌み嫌われるようになった感覚がある。

話がまとまらないが、総じて言いたいことは「義務教育」の範疇で快または不快が義務を放棄する理由として正当か否かという事だ。

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