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大学時代 前編

こんにちは。森井文哉です。
今日は大学時代の話をしたいと思います。まず進路選択ではずっと就職しようと探していましたが野球を諦めきれずどこかないかと思ってた時に、山梨学院大学さんから声をかけていただきセレクションに行きました。そこで合格をいただき山梨学院大学に進学することになりました。山梨学院大学から話が来たのは高校時代に山梨に練習試合に行った際そこの高校の監督さんが「松本工業に面白いピッチャーいますよ」と大学の監督さんに話してくれたのが山梨学院大学との縁です。
大学1年の頃は同い年に聞いたことある高校名ばっかでした。やっぱりみんなうまくて早くもBチームの合流したりしてる人がいました。僕はCチームにずっといて朝6時半からの朝練をし、午後は学校のジムかフットサル一面くらいしかない小さなグランドで練習していました。そこで培った基礎練のおかげでピッチングも少しずつ良くなっていきました。B対Cの紅白戦では何回か投げて抑えれたのはすごい自信になりました。球速も135まであがっていいアピールができたと思います。夏くらいからBチームに上げていただき練習試合も何試合か投げさせてもらいました。冬の朝練はグランドにシート貼っているんですがそれが凍るくらいめちゃくちゃ寒い中朝練をしたのを覚えてます。
2年になる前の春先にAチームに上がり練習試合で先発も経験させてもらいこのままリーグ戦も投げれるって思いましたが3月後半から調子を崩し、リーグ戦前にBチームに落とされてしまいました。その悔しさはその先につながっていたと思います。そして残り組は毎週のように紅白戦をしていました。早くリーグ戦で投げたいと焦ってたくさん投げた結果、肘を怪我してしまい2ヶ月投げることができませんでした。投げることができない僕はチームの練習を手伝いつつ走り込みや、筋トレをして下半身を追い込みました。7月に実戦復帰をしずっと無失点で抑えてきました。そして秋のリーグ戦の移動日に部屋でゆっくりしてる自分に1本の電話が入りました。須田監督からでした。「リーグ戦メンバーに入るから今すぐ着替えてグランドに来い」僕は大慌てでグランドに向かったのを覚えています。笑4年生の先輩が怪我でその代わりに呼ばれましたがすごい嬉しかったです。そしてリーグ戦初登板は、上武大学との試合で8回裏ワンアウト1、2塁。3番市根井さんと4番山田さんとの対戦でした。2人とも外野フライに打ち取りマウンドで叫んでしまいました。2年の秋はこの登板だけでしたが今後につながる初登板になりました。そして2年秋の練習試合で球速が141まで上がり怪我した時にやってことは間違いないと思いました。
色々と経験させてもらって大学時代の前半は周りに負けたくないと昔練習嫌いだった僕にはありえないくらい練習しました。ウエイトをいろんな先輩から教わっておかげで球速も上がったし成長できたと思います。また3年生からは一週間後にも投稿します。

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