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【読書補助】古事記#4 大八島国の生成

注釈-4

大八国の生成


随神(かんながら)
神代のままに。神のおぼしめしのままに。

淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)
実在の島として、淡路島が比定される。アハヂという名は、阿波国へ行く道の意味とされる。淡路国朝廷への海産物供給や狩猟の好適地として重要な国で、阿波国とともに古来朝廷と関係が深かった。

淡路島(あわじしま)
瀬戸内海東部に位置する島。

伊予之二名島(いよのふたなのしま)
本文に「身一つにして面四つ有り」と表現されていることについては、この島に四つの国があることを人体化した表現で、自然の島でなく、伊耶那岐・伊耶那美二神の生殖で生まれた子であることを表わしているとする説がある。

伊予国(いよのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。愛媛県にあたる。

讃岐国(さぬきのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。現在の香川県。上国。

阿波国(あわのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。徳島県にあたる。

土佐国(とさのくに)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。高知県にあたる。

隠伎之三子島(おきのみつごのしま)
伊耶那岐命が先に言葉を発して伊耶那美命と結婚し、3番目に生まれた子。別名を天之忍許呂別という。大八島国のひとつ。

天之忍許呂別(あめのおしころわけ)
隠伎之三子島の「隠伎」は隠岐国(島根県隠岐郡の隠岐諸島)のこととされる。隠岐諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)との二つに別れ、島前は西島・中島・知夫里島の三つの小さな島からなっている。すなわち、隠岐国の全体は四島から構成されるため、「三子島」という表現をそれとどう対応させるかが問題となる。一般的には、島前の三島が隠伎之三子島に比定されている。

筑紫国(つくしのくに)
現在の福岡県のうち東部(豊国の地域)を除いた範囲にあたる。古代の国である。645年の大化の改新と律令制により筑前国筑後国(令制国)に分割された。

白日別(しらひわけ)
「白日」は、明るい太陽の意とする説がある。

豊国(とよくに)
古墳時代にあった律令制以前の国の一つ。旧国名を豊日別(とよひわけ)と言い、現在の福岡県東部および大分県全域に相当する九州の北東部地域に存在した。

豊日別(とよひわけ)
「豊日」は光豊かな太陽の意とする説や、国名に由来するという説がある。

肥国(ひのくに)
筑紫島(九州)にあった国の一つ。火国の範囲については、肥前国(長崎県、佐賀県)と肥後国(熊本県)を合わせたものであるという説と、肥後国は阿蘇国のあとであり火国とは必ずしも関連がないとする説など諸説ある。

建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)
肥国は、肥前国と肥後国に当たり、七世紀末頃に二国に分けられた。「火国」とも書き、火にまつわる国名の起源を語った説話が『日本書紀』景行紀(十八年五月壬辰朔)や『肥前国風土記』、『肥後国風土記』(逸文)に載る。

熊曾国(くまそのくに)
日本の記紀神話に登場する、現在の九州南部にあった襲国(別称 建日別・熊曾国)に本拠地を構え、大和王権に抵抗したとされる人々、また地域名自体を表す総称である。

建日別(たけひわけ)
この神名にあたる熊曾国は、南九州に位置する地と考えられているが、筑紫島の他の三箇国のように七世紀末以降に対応する国名が見られないのが特殊である。

壱岐島(いきのしま)
長崎県の離島で、九州と対馬の間に位置する。

天比登都柱(あまひとつはしら)
名義は、「天一つ柱」と解される。「天」を読みを単独の形のアメと取るか、複合する形のアマと取るかで、語構成の理解も「天、比登都柱」「天比登都、柱」と異なってくるが、いずれにしてもこの名は、壱岐島が離れた孤島であることに基づいた命名とされている。

津島(つしま)
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。

天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
津島(対馬)の亦名として見える神。「天上界と関係のある立派な、叉手網に霊が依り憑く女性」と解する説、対馬の形が叉手網に似ていることから名付けられたとする説がある。

佐度島(さどのしま)
新潟県の西部に位置する島。

大倭豊秋津島(おほやまととよあきづしま、おおやまととよあきづしま)
日本の本州の古代の呼称。日本最古の歴史書『古事記』(712年献上)では「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、また、同じく歴史書『日本書紀』(720年完成)では「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。※古事記 倉野憲司著の本文内注釈では本州ではないとされる。

天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)
佐度島の次に生まれた。大八島国の一島の神名。

大八島国(おおやしまぐに)
日本国の異称。「古事記」では、大倭豊秋津洲(本州)・伊予二名州(四国)・筑紫(九州)・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡の八州の総称とする。おおやしま。

吉備児島(きびこじま)
岡山県南部,瀬戸内海に面し,児島湾を抱いて東西にのびる半島。

児島半島(こじまはんとう)
岡山県南部に位置する人工的に繋がった半島である。

建日方別(たけひかたわけ)
大八島国に付随して生んだ六島のうちの、吉備児島(きびのこしま)の別名。「建」字は「健」字に通じてタケと読み、猛々しい意、勇猛の意とする説がある。「日方」は、『万葉集』に「天霧らひ日方吹くらし水茎の岡の水門に波立ち渡る」(7・1231)とあり、風位の名であるが、地域によって指す方角が異なり、ここでは東南風・西南風などの説がある。

小豆島(あずきじま、しょうどしま)
瀬戸内海・播磨灘にある島。

大野手比売(おほのてひめ/おおのてひめ)
大八島国に付随して生んだ六島のうちの、小豆島の別名。「野手(ので)」を「鐸(ぬで)」と見る説や、「苗手(なえで)」の転として、昔から神聖視されている稲の苗を束ねる藁のことと見て、「大」は美称と取り、早苗取る早少女の意として、吉備児島と小豆島と名称のつながりにも寄せて、黍・小豆・稲と禾穀に関係する名ではないかとする説。

大島(おおしま)
山口県の東にある大島。

大多麻流別(おほたまるわけ/おおたまるわけ)
「多麻流」を「溜る」に解して、瀬戸内海の鳴門の渦潮を乗り切るために、多くの船舶が集まり留まることから「大溜る」といったかとする説や、「多麻流」を船の停泊の意に取り、同じく渦潮を乗り切るのにこの島に船を停泊させたことによるかとする説、また、水が大いに溜まる港湾の様子を表したものかとする説がある。

女島(ひめじま、ひめしま)
別名、天一根(あめひとつね)。大分県北東部の国東半島沖に浮かぶ島である。

天一根(あめひとつね)
名義は〈天に接する一つの根元〉の意の名前と解されており、この島を境に六島は別名に「天」を冠している。女島を含む六島は瀬戸内海航路として、また遣唐使の寄港地として重要なものが選ばれていることが指摘されており、六島が国生み神話に含まれるのは遣唐使の旅の安全を神話によって保障する意図があったという。

知訶島(ちかのしま)
長崎県にある五島列島ならびに平戸島、または五島列島の古称。知訶島。値賀島。血鹿島。

天之忍男(あめのおしを/あめのおしお)
この神の名義を天上の立派な威力ある男とする説、もしくは五島列島が多くの島々から成っているのでそれらをおしなべて一体にしている男という説がある。

両児島(ふたごのしま)
五島列島福江島の南南西およそ70kmの東シナ海に浮かぶ島嶼群。無人島。

天両屋(あめのふたや)
両児島の所在は定かでないが、長崎県五島列島の南にある女島男島に比定する説がある。海上遠く天に家が二つ並んでいるように見えることから天両屋と名付けられたという。


参考文献

古事記 倉野憲司 校注 ISBN 9784003000113

引用サイト

國學院大學 古事記学センターウェブサイト
Wikipedia
goo辞書
コトバンク

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