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マインドコントロールと海王星

マインドコントロールされるほうが悪いのか

福岡での5歳児を餓死させてしまった事件は通常の虐待事件とは違った傍から見たら常識はずれのような事件である。

ママ友による洗脳、マインドコントロールによってあやつられていた女性は離婚したり、生活できなくなったりしたあげく、自分の子供まで死なせてしまった。ほんとに人生がめちゃくちゃになってしまった状態だ。

これはママ友が悪いのか、マインドコントロールされてしまった女性が悪いのか、外からみたらコントロールされた女性がおかしいと思うかもしれないが、なんとも言い難い。彼女にとっての真実は曲げられてしまっていた。そしてそれをおかしいと疑うことなく、真実だと思い込み、誘導されてしまったともいえる。

もちろん彼女は罪を今後背負うことにはなるのは変わりなく、その事実を受け止めていかなければならない。洗脳したと言われるママ友は今回は占い師やスピリチュアル系の何かではなかったようだが、過去にはそういう話が随分と話題になり、この「マインドコントロール」って久々に聞いた気もするが、それがなくなっていたわけではない。

水面下では公な事件になっていないだけであって、普通にいたるところにあると思う。

マインドコントロールされる側にとっては真実ではないものを真実と思いこむようになっていて、それは非常に自分にとっては救いや理想的なものに見える状態であるのだ。

この人は私を救ってくれる、素晴らしい人という投影をする。

その思い込みは実際はその人を救ってはいるのである。

海王星という天体の意味

占星術ではそれは海王星がもつ要素となる。海王星は実体がないものを扱う。どちらかというと自分にとっては麻酔的なもので、自分が日頃持っている痛みを緩和させてくれるものだ。だから中毒的にもなりやすい。

絶望感が強いほど、日々の暮らしがつらいほど、耐えがたい孤独を感じているほど、海王星はあこがれとなる。つまりはちょっと危険を含んでいる。

この事件の場合は女性がそのママ友がまわりでは随分評判悪いのにもかかわらず、救済者にみえたのだろう。彼女の中の海王星にヒットしたのかもしれない。

こうした事件などが起こる度、実体がわかりにくいもの、つまりはスピリチュアルや癒し、代替療法などに対して懐疑的な防衛態度が強くなる人もいる。

遠い過去の歴史からみても、海王星は本来、自然界の中で生きる私たちがどうにかして生きていくために必要なもので、自然への信仰というものによって私たちの身体とたましいが癒されてきた。にもかかわらず、科学が発展するにつれ、そんなものはないし、そんなことをやるのは異端として弾圧されてきた。

現代は海王星的なものの本来の役割をいい形で発揮しようとする方向もあるのだが、同じくらいに利用しようとする動きもあり、しかもそれはまったく悪気なく、無意識にそうなってしまっていることもある。そのくらいコントロールが難しい。

マインドコントロールをする側の人も実は無意識にやっていることも多いのではないだろうか。それはもともとその人自身があいまいで、客観性が薄く、ある世界観の中でしか生きていないことも多い。

つまりはいつでもいつの間にかマインドコントロールしてしまう、されてしまうという事態はあるのだ。

海王星の一般的な意味を並べると、見えないもの、理想、インスピレーション、創造性、混乱、依存、中毒、スピリチュアルなもの、宗教、信仰など。

ちょっと興味深い点ではギリシャ神話では海王星は海の神様ポセイドンからきている。このポセイドンはゼウスと兄弟で色男らしい。彼はいつも4頭の白い馬をつけた馬車に乗っているそうで、呉茂一さんの新潮文庫から出ている「ギリシア神話」によると

馬は大地と縁が深いが、海の波の具象化だともいう。ここでも我々の決定的な判断をまだなしえるに至っていないが、本来は海よりも、大地とその含む水、地下水や泉流の象徴であろうか

という記述は面白い。海王星がただふわふわしたものではなく、大地ともつながっている要素があることになる。わかりにくいものを抱えているからこそ、馬が必要なのかもしれない。

マインドコントロールを回避するには

マインドコントロールを防ぐためにはただ、防衛的な態度だけを取るのではなく、自分の中心にしっかりいることが大事である。わからなくなったら誰かに相談するのもいいけど、そもそもマインドコントロールする人は相談する相手や外部と連絡をとれないようにたくみにしていくので難しい。

世の中にはネットの情報もすぐに真実だと信じ込む人も多い。それがもしも自分にとって都合がよかったり、理想的だと思ったなら。理想の切り売りは昔からあるけれど、ほんとに難しいなあと感じる。

私のようにフラワーエッセンスという実体がわかりにくいものを扱ってて、それがなんらかの癒しや自己成長、変容に関わってくるとなると伝え方とかいつも悩む。うそを言っているわけではないけれど、理想化してのっかってくる人もいる。

人は傷ついた人ほど、海王星的なものを求めていて、それを拠り所としながら自己の癒しに取り組むことができる。これは確かなことだけど、理想として信じるからこそ、間違った方向にいったときは修正が難しくなる。

セラピストや人の癒しに関わる人はすべてそのことを知っているはずである。そして注意深くその人にとって何が必要なことかをみて判断するだけの力が必要であるのを感じる。

マインドコントロールされないようにするには、いろいろあるだろうが偏らないというのはひとつの回避方法ではないかな。スピリチュアルだけに偏らず、西洋医学や実際的な方法ではどうだろうとか。

植物観察でもいきなりアストラルにいくのではなく、植物の物質的な観察が欠かせないのと同じように。ポセイドンが馬をあやつっているように、大地的なものとつながることで発揮されてくる、この世界にもたらされるように。

海王星大好き系の人は物質世界がちょっと苦手傾向もあるので、少しずつ物質的なものになじんでいくことも大切。自分の肉体の手入れをしたり、食べるものについて体の声を聞きながら食べたがっているものを食べたり、運動したり、物質と物質の空間しか見ないのではなく、物質そのものをよく観察したり。。

スピリチュアルな世界どっぷりだとその情報しか聞かないのは危険である。まんべんなく、いろいろな情報に触れるようにするのもいいかなあと思う。

個人チャートではわりとアスペクトの偏りが少なく、適度にスクエアとか持っている人は自然とそういう他のものを取り入れたりすることをやってるけど、同じエレメントが多くて、トラインばかりだと他の物が入りにくくなることもある。

ただ、この海王星問題は簡単にこうすればいいとは言いにくいところもあり、もっと根深く、その人の人生全体の問題にもなるので理性的にわりきってこうとは言えず、常に全体性を見失うことなく見ていく必要がある。答えは出ない場合も多い。

マザー・テレサは晩年、自分の信仰に対して疑いを持ったという話が興味深くて調べていたことがあった。信じ切っているものに対して、疑いをもつことは必要なんじゃないかなと思う。過去にも信じ切っている人が多くいる中で一人の人が異論を唱えると、だんだんその異論も真実味をおびてくるようなそういう映画やドラマもある。信じ切っているものの逆をみることは結果的には自分の全体性を保つことにつながってくるのではないかと思う。

自分の中の海王星を生きる

で、最終的には海王星のいいところは自分の中から引き出していく。

外から持ち込まれるのではなく、自分の中から。自分がもつビジョンや可能性、自己治癒力、創造性や芸術性・・。それらが表現され、発動するとき人は本当に癒されていくのではないかなと思う。

そのためにはさっきも書いたように大地とのつながりを断つことなく、バランスを取りながら、自分の可能性を信頼していくことではないかな。

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