見出し画像

自己開示その3

さて、今日は一度目の結婚の話です。
(そもそも一度目のって……2度目以降があることを宣言してる)

22歳。
保育士としてその職場に2年目だったわたし。
当時担任をしていた2歳児クラスの女の子のママから
「先生に紹介したい人がいるのよ」と言われ。

「ちょっとファミレスあたりで会ってみない?」と言われ。

「いいですよ」と
お気軽な感じで会ったのがきっかけで…

優柔不断で引き摺られやすい私は
なんとなーくお付き合いを始めてしまい。

気づくと相手の言いなりに。
そして一気に婚約。
確か8月に出会って翌年の2月に挙式となり。
なぜか嫌な予感がしつつもそのままズルズル引き摺られていきました。

そして結婚。
なんだか入籍はしたくないなぁという漠然とした気持ちがありつつもこちらも引き摺られるように入籍。

で、ここからが地獄の生活の始まりとなりました。

夫は異様に綺麗好きで…髪の毛一本落ちていたからとわたしを怒鳴り散らす。
感情的に怒鳴り散らしたと思えば泣きながら謝ってきたりする。

なんか…情緒不安定な人だなと思っていましたが。。
今にして思えば典型的なDV夫って感じの人でしたね。。

日々「今日も何か怒られたらやだなー」と思いながら憂鬱な気持ちで家に帰る。
その日も何がきっかけだったかわからないけどまた怒鳴り散らされました。

そして、わたしにこの日作っていた切り干し大根の煮物(出来立て)
を鍋ごとひっくり返して投げつけてきたんです。。。
熱くて、怖くて。

もう、ダメだと思いました。
そしてそのままわたしは猛ダッシュで実家に逃げ帰ったのでした。
車の免許はまだ持っていなくて、自転車で家に帰りました💦💦😭

家に戻ると父母は
叱らずに迎え入れてくれました。

すぐに車で夫が追ってきましたが
わたしは2階に隠れ父が対応。

「言った、言わないは水掛け論になるから私は聞きたくありません。
でも私は自分の娘を信じます。」と言ってるのが聞こえてきて…
涙がこぼれました。。

そんなこんなでここから離婚調停が始まり、実に一年かかってやっと調停離婚となったのでありました。

時は平成初頭。
わたしは離婚調停の間もその後も
保育園は辞めずに通い続けました。

苗字を年度がわりで旧姓に戻すのが気まずい感じでしたが。。

それもそのうち慣れ、わたしは新たな青春時代?とも言える時代を迎えるのです。

離婚成立した年度末に卒園した園児の叔父(とはいえ当時19歳)の彼が
卒園式の後の謝恩会でわたしに声をかけてきたのです。

その1週間後、わたしは彼と初めて二人で会うために出かけました。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?