ChatGPTが「猿のスリット」という話を創ってくれた
ChatGPTに対しては多くの人と同じく未来がその姿を表し始めていると感じている。
言ってみれば礼儀正しく生真面目だがメチャクチャに物知りで頭の回転が人類をはるかに上回る幼い人物がメッセージ交換相手になってくれた様に思うのだ。
その彼に動物が登場して笑える話を教えてと訊ねたら次のような4つのアイデアが返ってきた。
いたずら好きカラスのアイデアはやや凡庸だがそれを除く3つのアイデアはどれも妙ちきりんで不条理な空気がただよっている。
AIが探索するデータの大地にこういうものが捻り出される種子があるのだろうか。
特に最後の「スリットの猿の話」!
なんなんだこれは!
スリットの猿?
自分でもわからないように変化?
スリットを使う?
まったく物語になるとは思えないしスリットって隙間とか切れ目を表す単語だがそれをどう使うのかなんてまったく知識の斜め上か遥か上方。
将棋や囲碁でAIが打つ手を理解するのは人間には難しいと言うがそういう局面に私はいるのだろうか。
そこで困惑する私への救済の手を求めてChatGPTに語りかける。
「猿とスリットが登場する話を最後まで読ませて」とお願いしたら返ってきたのが「猿のスリット」というタイトルの話です。
「猿のスリットという猿」とか「スリットは、スリットを使って」とか「自分でもわからないように変化して」とかをツッコもうとは思わない。
醸し出される不思議な空気に身を委ねるだけで十分な気がする。
締めの一文もイソップ物語のような教訓的なそれではなくもっと人智の外にある何かを示しているのだろう。
不要に多い読点("、")を取り去れば文章も滑らかになりそうとか思うけどすぐ成長するのでしょう、まだ幼い彼だし。
あと表紙絵的イラストをStable Diffusionという絵師AIで生成したがキーワードのどれをどう解釈してこの絵になったのか謎を感じてこれも奥深い。
いやはやネットや携帯どころか固定電話すら家に無い ITゼロ時代に生まれた私だが、このような時代を見れるまでよく生き延びてこれたものだなと感慨深いのです。
私が生きてきた時間に上昇したIT化密度は生まれる前の同じ時間のそれとは比較にすらならない差がある。
そしてここから先はさらに加速度的に学習と成長を続けるAIが急激に時代を変えていくのは既に約束事項。
さてどこまで見れるかな。
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