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STEAMという「考え方」

note書くの久しぶりすぎ…

今日は、「美術による学び研究会@東京2020 STEAM Festa /第3回日本・美術による学び学会 プレ大会」に参加していた。

といっても、Withコロナ時代で、ZOOMによる開催なので、気軽に参加できました。

”STEAM”は最近の教育の動向では気になっているところでもあるし、”A”の部分、すなわちアートやリベラルアーツと捉えられている部分が今後(日本では)どう扱われていくのか、そして当の美術科教員はどういう認識を持っておくべきなのか、というところで興味があったので、先日参加申込みを済ませたのであった。

今回は12月の大会に向けてのプレ大会(予行演習)ということなので、参加人数も絞られていて、よく顔や名前を見かける面々が画面上に確認することができた。

さて、STEAMである。

STEAM教育とも言われ、最近注目を集めつつある教育の動向ではあるが、なんかモヤモヤするのである。

今日のプレ大会では、上野代表の基調講演に続き、小学校での実践報告が2件あり、まさにSTEAM教育のこれからについて模索している、という感じが伝わる内容であったのだが、やはり自分の中のモヤモヤがずっと晴れない。

どうやってSTEAM教育を進めていくのか、とか、教科横断型や統合的な授業ってどうすんの?的な話なんだけれど、かつての「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」なんかと同じような誤解をされていくんだろうな〜という懐疑的な気分が自分の中では大きくなっている気がするのだ。

僕が思うに、STEAMというのは「考え方」である。

STEAM教育とかで括られるような、なんちゃらメソッド的なモノではなく、現代思想のひとつの潮流なのである。

教員の姿勢としては、そういった思想の潮流を捉えるセンスと、すぐに動ける瞬発力を備えておいて欲しい、とは思うのだが、そういう自分の中に根ざした思想がないままに、新しい教育メソッドが導入されてタイヘン…みたいな捉え方をしていると、ホントに意味のない結果しかない気がする。

先に挙げた「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」も、提唱された背景や思想を理解していれば、有効な教育プログラムになりうると思うんだけど、機能させていないのは、実はずれた現場の感覚だったりする訳で…

こういった研究会やフォーラムで多くのモデルケースをサンプルとして見ていくのは有効なことだとは思うが、それらはあくまでもサンプルなので、そのメソッドを導入したらうまくいく、というような「答えを求める」ような発想では、ホントに意味がない。

自分だったらどう咀嚼するか、自分の学校(地域)だったらこんなテーマを掘り下げていくのも面白いかも、とそれぞれのクラス、学校、地域においてカスタマイズされていくものだと思う。

そういった学びの必然性があり、今の自分にしっかりと繋がっていると実感できるような取組が展開されるのを期待している。

今日はブレイクアウトセッションも用意されていたのだが、考えが言葉にならず、結局何も発言することもなく、なんだか申し訳なかったな、と思ったので、ここに感想含めて書いてみたのだが、なんか愚痴っぽくなってしまった気もするな。

12月に本大会が開催されるので、また参加して、いろいろ思いを巡らせたいなと考えている。

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