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自己紹介って難しいですね

noteって最近よく見るようになったんですけど、最近見始めるのってとても流行に乗り遅れてる感じがしますよね。

そしていまさら何か書き始めてるのもとても遅れている感じがしますね。どうして今になって書き始めているのかというと、自分の人生の転機を書き残しておかないと、これから先も同じようなことを繰り返すのではなかろうかと思っているからです。なので、これは全体公開です(する予定で書いています)が、自分の備忘録として書いています。ただ、方々に迷惑だけは描けないようにしたいと思います。

流行に乗り遅れてる人が書く文章なので、これから改善されることを祈っていて下さい。

こんな全然名前の知れない人が書いている文章なので、(完全にエンタメを受け入れる側の人であって発信する側にはいなかった)読みにくかったり伝わりにくかったりするところが多いかもしれません。私生活でも、「主語や目的語がわからない」とよく言われますが、自分の頭の中では主語も目的語もしっかりと成り立っているので、たちが悪いですね。

ここからが表題

さて、ここまでで散々言い訳を書き連ねたので、これから書くことや、自分のことをまとめて(気分的に)血反吐を吐きそうになりながら過去や未来のことを考えていこうと思います。休みの日は休みたいので、長くならないようにしようと思っています。

小学校までの私

生まれてから小学校くらいまでの私に大きくのしかかった問題は、他人と自分の意見を分けなければならないということです。幼稚園では母が友だちをつくれるようにと思ったのか、自分が友だちをつくりたかったのか、はたまた両方の役割があったのか、ピアノを3家庭くらいと一緒に習っていました。友だちの母親がピアノの講師で、家に遊びに行くとアップライトピアノがあり、そこで鍵盤の基本的なこと(ドの音はここ等)や、リズムあそび(スティック使って講師の真似して音出す)とかをして、もうほぼ遊びですね。一週間に一回友だちの家に集まってピアノが終わったら遊べる、という認識だったように思います。そこで仲良くなった家庭と小学校の間付き合うことになるわけですが、これが大変だったわけです。

ポケモンブームの時に気づいたこと

現在アラサーな私ですが、ポケモンが始まり、赤青緑で大ブームだったわけです。そして図鑑も出たりして。その図鑑を親が買ってくれたんですが、友だちに「図鑑の最初と最後にあるポケモンの一覧のところの絵が欲しい」と言われたわけですね。欲しいのか、じゃああげよう。いそいそとはさみで、ぎこちなく切り取ってあげようとした私。親は働いた給料で自分の子どもが喜んでくれたらと思って買った図鑑を切っていたのを見てびっくりですよ。「なにしてるの」と怒られましたよね。そして私は話したわけです、欲しいというからあげようとした。ここで他人に簡単にものをあげてはならないと親から話を受けるわけです。でも、例えば、学校で友だちが消しゴムないときは、貸してあげる。消しゴムは貸すだけで差し出してはいないから、いいんだよ。本も貸してあげたらいいんじゃないかな。という結論に落ち着くわけです。お菓子はあげたら同じものは返せないから、あとからお返しをあげる。こういうやり取りをとても難しく感じていたのでした。基本的にお金がかかることはダメなんだなと自分なりに親に申し訳ないと思って反省した、気がする。怒られて怖かっただけかも。小学校の時のいろいろな(個人的に衝撃だった)事件は別記事にしようと思いますが、この時の私は基本的に人から言われたことを素直に受け止め、よほど生命に危険だとか、お金かかってできないとかでなければ、そういうものかなと思って一緒に遊んだり、ふざけたりしていました。その中に自分の気持ちっていうのはあまりなかったんじゃないかなあと思います。いや、あったかもしれないけど、相手の考えをのけてまで何かを主張するようなものはなかったように思います。自分の都合のいいことは忘れるのが人間だから、実は結構あったりするのかもしれない。

中学とか高校の時の私

実は幼稚園から私立でぬくぬくと100人くらいの中で生活していた私は、急に中学になって外部生と合流するのですが、まず話が合わないことにびっくりしました。集団登校したことないし、友だちの家で一輪車とか、大きな自転車に足ひっかけて乗るとかしてないし、つつじの蜜はおいしいとかかんがえたこともない人生だったんです。そして女子校だったので、男という存在が先生、弟、父、等の限られたところでの接触になります。恋愛については全くと言っていいほど興味がなかったのですが、出席番号順の席で前後になった子が乙女ゲームとしており、そこからずぶずぶと沼にはまりっていくことになります。年上のちょっと斜に構えた感じの気のいいお兄さんキャラが典型的に好き、という感じで様々なアニメや漫画、ドラマCDやラジオを徹底して探して聞いていました。特に最遊記とは長い付き合いになります。また、中高時代は別記事にしようと思いますが、ここでいろんな家庭環境の友だち、先生に出会い、世界の広さを実感します。人数が多い学校は世界の縮図にふさわしいくらい多様でした……。

進学を決めた時の私

大学進学を親に勧められるまま決め、大学にせっかく行くなら資格とっておこうと考えたものの、これまで特に何かを決めてこなかった私は一つの決断を迫られるわけです。「進路」です。しかしここには親の意向が少なからず反映されています。

・私立に行ったからには、大学に行って、就職をしてほしい。

・少なくともそこそこ名の知れた大学に行ってほしい。

・あわよくば就職に困らないようになにか資格でも取れたらいいのではないか。

上記三点を前提に、何かやりたいことはないの?と聞かれても、私にはむしろ何をやればその三点を満たせるのか教えてほしいくらいな気持ちでいました。ここまでの私は、もはや敷かれたレールを何の疑いもなく走る新幹線のようなもの。いきなりここから先のレールは自分で切り替えていいのよ、でも、レールは限られてるけど。と言われたところでその限られたレールの先が全く見えす、困り果てていました。そこで、家族を振り返ったときに、周りにいたのは、教員ばかりで、自分もじゃあ教員になるかあと思ったのです。ここで注意したいのは、自分がなりたくないものになったのではなく、何となくそれもいいかな、くらいな気持ちだった。もしかしたら案外楽しいのかな、とも思っていたということです。しかしこれが先の自分を十分に苦しめることとなります。ここでのことも、詳しく書きたいことがあれば別記事にしようと思います。

社会人になるまでの私

大学生活だけでなく、休日を一緒に過ごした人も、今の私に大いに影響を与えていると思うので、このようなくくりにしました。私が大学生のころ、ニコニコ動画が全盛期を迎えていました。おそらく大学だったと思う、高校生の終わりごろからだったかも。今はもうニコニコ動画ってYoutubeとかBilibiliとか生放送であればツイキャスとかOPENRECとかにだいぶ勢いを削がれ、もはやインターネット老人会かな、って感じですよね。大学受験期にもだいぶニコニコ生放送に精神を支えてもらい、何とか大学生になった私ですが、大学に入ってからはもっとインターネットの世界に深入りするようになります。幸いここで変な宗教とか存在しない会社に誘われるとか、そういうことはなくここまでこれたのは本当に運がよかったというか、自分の危険センサーがきちんと機能していたのかなという感じですね。本当に拉致監禁とか、集団自殺とか、新興宗教とかに巻き込まれなくてよかったと思います。ここでの話はきっと別記事になると思うのですが、大学生特有の時間割や休日のインカレ活動、初めていったライブや、ニコ生やオフ会などを通じて、私の生活リズムは崩れに崩れ、いろいろとやらかします。そしてそこそこ名の知れた女子大に入っていた私は、先生に心配されます。申し訳なかった。先生には大変なご迷惑をおかけしました。今ではしっかりと携帯のアラームで起きられるようになりました。3時に寝ても6時に起きられます。いやこのリズムがおかしいんだけども。

ここで気づけばよかった問題点

教員免許をとれるとわかってからは、今度は自分の意志の薄さというか、目標を自分で見つけなくてはならない、ということに大きな苦痛を感じるようになります。目標があれば自分で工夫して到達しようとするし、何かを成し遂げるという気持ちはあるけれど、じゃあ何をすればいいの、という気持ちが出てくるのです。そしてそれは社会人で顕著になります。当たり前ですよね。子どもたちにどのようになってほしいか、そのために何をすればいいか。小学校は教科がありますし、ある程度の小学校ごとの単元のスケジュールがあります。幼稚園はそれこそ園によると思いますが、行事に向けていろいろなことを計画立てて取り組んでいきます。ここで私は紆余曲折を経て保育園に就職しました。それもまた自分の性質と向き合えていなかったために起こった問題の起点ともいうべき出来事です。

社会人になってから

小さい子どもたちと過ごした日々は本当に宝物です。自分に足りないことをいろんな先輩たちに教えてもらい、成長できるように苦心し、改善しようと頑張ってきました。しかし、保育園には大きな目標となる「ねらい」を設定した後は、自分が日々どのように過ごすか、今日はどこまでできるようにするのか、今週どこまで目指すのか、今月は?来月は?今期は?今年度は?来年度は?卒園にはどんなことができるようになっていてほしいか?を自分で決めなければなりません。当たり前です、それが保育士ですから。そして私の場合は幸いなことに複数担任で進めることができたのです。ここから私の問題が浮き彫りになってきます。そうです、「意志の薄さ」です。複数担任ということは、人からの意見を参考に、自分の意見も伝えつつ、子どもたちに最良の結果がもたらされるように様々なことを決めて過ごすということ。他人に自分の意見を伝えなければなりません。完璧にやりたいことがないわけではなく、これでいいのか?果たして子どもたちのためになるのか?相手の意見のほうがいいのでは?という気持ちが拭い去れない私は、どんどん自分の意見が伝えづらくなり、相手もどんどん主張するようになっていきました。これは相手が悪いわけではなく、私のせいでそうせざるを得なくなったといってもいいです。

主張が薄いということ

2、3人いる中で、

「今月はこうしましょう」「こんなことを考えてきました、どうですか。」

『うーん、そうですね、どうでしょうか……。ここは好きかもしれないけど、こっちは難しいかもしれない。でも、そろそろできないといけないですかねえ。』

「私はできると思います、やってみませんか。」

『……じゃあ、やってみますか。様子を見てダメそうならここまでやって、あとは担任が手伝うということでいいですかね。』

「では準備します。」

という流れを常にやっていった場合、ここでの私の意見は

『難しそうだけど、やらないといけないかも』『できないところは補助すればいいから、取り組んでみましょう』

の2点です。自分でもやらないといけないことを考えてきたりしますが、相手が持ってきた案があった場合、自分の案よりも優れているように見え、まず自分の案を出さないこともあります。持ち寄りましょうという話の場合は必ず話しますが、そこで強く自分の案を押し出すほどの自信がありません。

ここで私が意見を出さなくても、相手の意見が通る流れができてくると、相手も「はじめから自分の考えで動く準備をする」ようになります。そしてさらに私は相手の準備を無碍にしないように、と主張が薄くなり、「お手伝い」のようになっていきます。こうすると仕事の負担は9:1のように見えてきます。そして相手はいらだってくるのです、「あいつはなんなんだ、考えているのか?」

すれ違いを恐れてさらにすれ違う

自分が相手の努力を無碍にしないように、できるところから手伝おうという考えになる時点でこれは受け身の姿勢です。仕事として褒められたものではありません。間違いないです、主体的に動くことで、全体が動いていくようになるのです。

いろいろな考えをもって話し合いの場に行き、相手の意見を聞いて、「それもそうだな」と思い、少し気になったところだけ「どうする?」と尋ね「それってそんなに大きな問題ですか?こんな感じで改善できますよね?」と言われれば「いや、その通りです。」という感じでそのまま意思決定がなされていく。

これって私がいる必要ある?

この場にいらない存在なのでは?

この状況を打破しようと、頑張っているところです。ただ自分の意見が言えればいいってわけではない、しかし、意見が言えないのも仕事にならない。相手を押しのけるのは仕事の支障をきたすからなんとか穏やかにいきたい。でも人間同士意見の衝突は免れない。そこに私の意志はいるのか。

難しいと思ってしまうのでした。そんな私がこれから考えを整理するためにここを使います。

長くならないようにって言ったのに結構長くなってしまった。


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