少年と椅子
少年は とある椅子を探して旅をしていた
ルンマーン砂漠を歩きはじめてから もう10日は経ったころだろうか
「どこまでいっても 燃えるような砂だ
いや この砂は実際 燃えているのかもしれない」
熱い砂を足裏に感じ 気が滅入りながらも 少年の気持ちは高ぶっていた
「ようやく探していたものが見つかるんだ…!」
長い旅に 終わりを諭したのはガーバという街で偶然 出会った老婆の言葉だった
「炎のような砂漠にお前が探し求めてきたものがあるよ
時の経過を感じさせる壁 が目印だ」
諦めて故郷に帰ろうかと気持ちをまとめていた矢先の出来事に
少年の心は大きく動かされた
そして なぜかは分からないが
少年にはその老婆との出会いが偶然でないように思えたのだ
そんなことを思い出していると目の前に 突如 3m はありそうな壁が現れた
突然の出来事に頭が真っ白になりながら
少年は 壁で囲われた内側へ入る場所をみつけて駆け込んだ
そこには 錆びれた鉄の壁が聳え立ち少年は圧倒された
壁から溢れ出す強いエネルギーを感じたのはカマル族の聖地に立つ壁 以来だった
「錆びた鉄…時の経過を感じさせる壁だ!」
少年は とうとう椅子の在り処 をみつけた と悦び
そして 錆びくさい鉄の壁の内に飛び込んだ
「…なにもない!」
しかしそこには確かに硬い なにか が存在し そこに 恐ろしくも 腰掛けることができるのだった
そう 確かにそこには座ることができ それは目に見えなくても 椅子なのだ
少年は 長い間 探し求めてきた「椅子」の意味を悟った
少年は 長い間 探し求めてきた頭のなかでつくりあげた「想像の椅子」を思い出し笑った
夕日が射し込み とうとう そこを去ろうとしたとき
少年はそこに椅子の影をみつけた
「これは 驚いたなぁ 1、2、3 …」
腰掛けていたものを含めると どうやら 15の影があるように思えた
長い旅路のなかで 少年は多くの椅子と出会い座ったが
「座る瞬間」を鮮明に思い出せるのは 後にも先にもその時のことだけだった
そして かならず 鉄のにおいが鼻に広がった。
**
久しぶりに 物語を描きました。
現在 通っている桑沢デザイン研究所(スペースデザイン科)の "空間構成" という
授業のなかでつくったものです。課題自体は昨日 終了していますが、以下 本課題に取り組む過程で何を考えていたのかについて書き残しておこうと思います。
ここではタイトルを「空(くう)」と名付けています
(少年が最後、求め旅したものに 形がなかったことを悟るシーンに、
このタイトルは集約されているかと思います)。
授業では「"3mの壁で仕切る"ことを通じて、椅子の展示空間をつくる」という
テーマのもと名作椅子と呼ばれる椅子を 15脚自分で選び、空間をつくります。
私が選んだ椅子は、
・倉俣史朗 / 1934-1991 / 「硝子の椅子」/ 1976 / と
・Verner Panton / 1907-1998 / 「Panton Chair」/1967/ です。
共通点は「透明」であること。
透明の座面って 座るときに落ちないことが分かっていても、緊張します。
それは視点を変えてみると、「座る瞬間」に意識が集中することになります。
空間をデザインしてつくるということは そこを訪れる人になにかしらの時間を楽しんでもらうことになります。もちろん敢えて 何も考えさせない時間を、空間デザインを通じて意図的にもたらすこともあるでしょう。
私はこの空間を通じて、「椅子」のエネルギーを引き出すとともに、
まるで異世界に旅をしたかのような、それもどこか現実的で同時に架空の世界
(地球にない地名や民族をつくることを通じ架空の世界を作り出していく:『指輪物語』作者JRRトールキンはオックスフォード大学の言語学者ということもあり登場するキャラクターにそれぞれの言語をつくること、地図を書いて架空の空間をうみだすこと、それらの要素の積み重ねが物語をよりリアルに、ドラマチックにすることを証明した. ちなみにJRRトールキンは自分のルーツのイギリスには神話や叙事詩がなく、それを自らがつくりだすことを夢にしていた)、そんな時間をつくりたかったのです。
幼い頃から世界史と物語ばかりに夢中で、その時の楽しさを空間を通じて表現してみた作品です。課題としては、椅子の展示というテーマに対するプレゼンボード或いはポスターのようなものを作成することが求められているように思いましたが、私は物語を描いてみました(時空よ、とべ! 笑)。ポスターに物語が書いてあったって、それを読む時間は、人の時間と空間をとばすことだと私は思います。人が頭の中で想像している時間を人は邪魔できません。「頭の中で自由に想像すること」私はその時間がとても大切だと思っており、あるもの(ここでは空間)から自由に想像して欲しいと思っています。特に大人に。
日本には真っ赤な砂が広がる砂漠はないですし、日常のなかで 3mの鉄板に出会う機会も、或いは壁からエネルギーを感じることも少ないかと思います。
「嘆きの壁」や「アルタミラ洞窟」「カッパドキア」「パムッカレ」「DMZ」、人類・自然・信仰・芸術・争いが繰り広げらてきた場所には どこか圧倒的なエネルギーを内包する存在がありました。
それらを見たときに感じた気持ちを思い出しながら、私はどう空間をつくろうかと考えたときに、空間の構成を非常にシンプルにまとめました。強弱とボリュームを意識しました。頭のなかで広がった砂漠に立つ鉄の壁(おそらくリチャード・セラの砂漠の作品から影響を受けている)に砂漠の砂、どこか廃れ寂しそうな 人に忘れられたように感じさせる空間に負けない力強い しかしどこか儚い「硝子の椅子」を組み合わせました。
空間のエネルギーが強すぎるため、囲む壁(同じく3m)と14脚の椅子選びには非常に苦戦しました。「障子を開けたら砂漠が広がっていた」なんていうのもファンタジックだなと思い挑戦しましたが、空間がごちゃごちゃになり辞めました。ちなみに砂の色も白→砂浜色→赤と変化しています。
授業ごとに先生と相談、実験、相談、実験を繰り返し、最終的にやりきったかな と思えるところに来れました。この一つの課題に対して、空間, 物語執筆, 旅の記憶 ,写真撮影, illustrator, photoshop, 表現を自由に最後空間に落とし込むことができたかな…?とふわふわ思っています。計画をして製作することが得意ではないので(課題の自由度が高いほどアイディアが出てくる)ころころとアイディアと連動して空間が変わり、自分でも疲れて気分が悪くなるまで「やってみた」ことが苦しかったけれど本当に楽しかったです。
思い返せば 桑沢に入学した理由、
それは 人がどう思うかを気にして自分にはできないと決めつけるのではなく、まずうはとにかく「やってみる」ことに慣れること、当たって砕けること、自己表現する方法をできるだけ沢山学ぶこと、もっと挑戦したいと思います。
私は「想像する」時間をつくる仕事がしたいので、それがデザイナーか作家か写真家か、それはどれであっても自分がしっくりできればいいと思っています。
ここ一ヶ月ほど、クラスにも慣れてきて 課題に向き合うこと以外の時間も増え 集中力が若干落ちていましたが、今つくれるものをもっとつくっていこうと書くことを通じて再認識しました。
(入学試験のときに頭を整理して描いたもの)
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